ふるさと観

 私のふるさとは東北のある市である。そのふるさとは子どもの頃は村、故郷を離れてから7つの村が合併して町になり数年前、さらに合併し今は市である。しかし、我がふるさとの源流は、子どもの頃過ごした「村」時代にある。当時、人口は4000人余り。ほとんどの家庭は農業で生計を立てていて、家族の絆も強く村の連帯感もあり活気があった。
 我が家は、一時は祖父母、両親、兄夫婦、兄弟7人で、なんと12人家族であった。米作りだけの収入なので決して経済的には裕福ではなかったが、米や野菜があり、たま〜に魚や肉も買って食べていた。兄弟けんかもしたが、どちらかと言えば仲が良かった。小・中学校はそれぞれ1校で9年間2クラスが一緒だったので同級生のことは何でも分かっていた。同級生の誼は充分に培われていた。
 村の中央には幅が7〜8mのきれいな川があり、魚捕り、水泳(水浴び)、花摘み、ほたる捕りなどして遊んだ。また、村の周囲の半分は小高い山になっていて、山菜がよく採れた。山頂で木登りすると村が鳥瞰できて天下を盗った気分になったものである。無垢そのものの0歳から多感で人間形成が始まりかけた18歳までこの村で育てられ上京したが、その後の人生に大きな影響を与えたことは否めない。
 私にとっての「ふるさと」はそれらがすべて詰まったものであるが、時には心を癒すオアシスであり、時には心を無にしてくれる大きな空間であり、そして、生まれ故郷からあるいは親元から独立・自立するという強い精神を与えてくれた有難い存在である。それでいていつでも「帰れる」ところであり、いつでも原点に「還れる」ところであり、「戻る」とか「やりなおす」ゆとり感へと結びついている。
 かの有名な小説家・詩人の室生犀星は、ふるさとは遠くにありて思ふもの/そして悲しく思ふもの/よしやうらぶれて異土の乞食となるとても/帰るところにあるまじや・・・・と詩っている。当然のことながら犀星とは生まれも育ちも異なるが、ふるさとは「おめおめと帰るところではない」ということには共鳴させてもらっている。
 また、犀星は、生まれ故郷の金沢の自然を愛しみこんな詩を書いている。美しき川は流れたり/そのほとりに我はすみぬ/春は春、なつはなつの/花つける堤に坐りて/こまやけき本の情けと愛とを知りぬ・・・・と。
 21歳まで不遇な生い立ちながら過ごした金沢の山野の景色をことの外愛していたが、二度と故郷には帰らなかったという。故郷を捨ててまで上京し自ら志した文人として大成した背後にはふるさとがあったに違いない。そして、日本国民に与えた犀星の「ふるさと観」への影響は計り知れない。
 私なりにこの望郷の念を活力に替えて、これからは「ふるさと」へ恩返しをしていかねばならないと思っている。あちこちで「ふるさと会」が盛んで、私も長年関わってきたが、残念ながら近年は望郷の念はあるものの新幹線でも、車でも数時間で帰れるせいか「ふるさと会」への関心は希薄になりつつある。とは言え、ふるさとを思う気持ちは大切にした方がいいことだけは伝えていきたい。
 私の「ふるさと観」は、初めに「ふるさと」ありき、ではなく、自然があり、建物があり、人がいて、家族があり、それらが絡み合った生活や人生があって、「ふるさと」が生まれ、その感情が湧いてくるものと信じたいのである。パトリオティズム(patriotism)的思考である。