読書アラカルト(1)「男たちへ」
私は決して読書量が多いとは言えないが、その中でも特に感興を覚えた書籍を何冊か取り上げてみたい。シリーズ第1回は塩野七生著「男たちへ」。
男たちへ―フツウの男をフツウでない男にするための54章 (文春文庫)
- 作者: 塩野七生
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1993/02/01
- メディア: 文庫
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*1993年2月10日第1刷 2005年8月1日第29刷 文春文庫 ¥590。54章の中から著者が男たちに贈る辛辣にして華麗、ユーモアと毒に満ちた「注文」をいくつか紹介し、本書の中味を推察してもらえれば幸いである。
まず、(1)頭の良い男について。なにごとも自らの頭で考え、それにもとづいて判断をくだし、ために偏見にとらわれず、なにかの主義主張にこり固まった人々に比べて柔軟性に富み、それでいて鋭く深い洞察力を持つ男。つまりはものごとに対処する「姿勢(スタイル)=哲学」を持っていることであり、年齢や社会的地位や教育の高低は関係ない。
次に、(2)世に不幸な男がいるが、その原因は、(ア)原則に忠実な男(イ)完全主義者(ウ)四十にして迷う男、と断言。よ〜く賢察すると「なるほど」と納得させられる。
(3)スタイルのある男について。スタイルとは、きわめて優れた資質をいう。(ア)年齢、性別、社会的地位、経済状態などから完全に自由な人であること。(イ)倫理、常識などからも自由であること。(ウ)貧相でないこと。(エ)深いところでは、人間性に優しい眼を向けることのできる人。こんなスタイルを持った男がいい。
(4)外国語を話すことについて。語学とは、自分たちとは違う文明を持っている民族を理解するには、説明の必要がないくらいに自明な、基本的なアプローチの方法にすぎないのだ。外国語に対する「耳」を持っていれば、一週間滞在したくらいで一応のことならば話せるようになる。その「耳』が肝心、と。
(5)おしゃれな男について。4つのタイプに分類。(ア)おしゃれと一目でわかる、おしゃれな男。これは男女を問わず、自己顕示欲の強い人である。実に率直で屈折がなく、まったくカワイイ。われわれ女にとって、これほど御しやすい男はいない。
(イ)おしゃれとわからないおしゃれな男。その中で、その他大勢と同じではいやな男については、おしゃれの表現法が屈折しすぎているので、亭主にしても恋人にしても、始末におえない。一方、その他大勢と同じでよしとする男については、あるネクタイピンがいいとなれば、猫も杓子も同じようなものをしているような現象は、その上にある顔まで同じようで退屈だが、この種の男にワルはいない。
(ウ)なにごともめんどうでおしゃれをしない男。めんどうくさいということは、おしゃれだけでなく、すべてにつながることであり、この種の男は、たいていは奥さんが選んで買ったものを身に着けているが、おしゃれとは言い難い。
(エ)天然記念物。君主は辺幅を飾らず、のタイプ。この種の男は、ほぼ例外なく、仕事面で絶対の自信を持っている。しかし、おしゃれの必要性はほとんど本能的に認めないし、欲しない。天然記念物は、希少価値があるから天然記念物であり、そのまま眺めていたい。
最後に、著者の(6)わが心の男は・・・・「ウエスト・サイド物語」「真昼の決闘」「モロッコ」「誰がために鐘は鳴る」のゲイリー・クーパーだと言う。彼は、背が高くすらりとした体格の持ち主であり、暖かい心根の男らしさがある。また、誠実、となると満点だ。そして、立ち居振る舞いがコセコセしない、などなど。大学時代に彼が死んだ時「喪中で授業を欠席する」と仲間に言うほどの熱の入れようであった。
著者塩野七生は、ご存知の通り、大学卒業後、長年にわたりイタリア・ローマに在住し、「海の都の物語」「わが友マキアヴェッリ」「ルネサンスの女」「ロードス島攻防記」などで、毎日出版文化賞、サントリー学芸賞、菊池寛賞等を受賞している小説家。2006年「ローマ人の物語」全15巻が完結。「男たちへ」「再び男たちへ」
「イタリアからの手紙」「日本人へ」などの随筆も多数。2007年、文化功労者に推挙された。
再び男たちへ―フツウであることに満足できなくなった男のための63章 (文春文庫)
- 作者: 塩野七生
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1994/03/01
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