同級生讃歌

 我が中学時代の同級生は、男27人、女50人、計77人である。56年前東北のある村立中学校の卒業生であるが、今は、物故者は無念にも11人になり、66人が健在である。生まれ故郷近隣に24人、首都圏に23人、残り19人は北海道から大阪・高知県の範囲内に在住している。ささやかな自慢の一つは卒業以来全員の住所を常に確保し続けていることである。
 同級生の消息は3〜4人で情報交換し合い、正確な住所・電話を確保している。同級会は、全体と各地区ごとにこれまでに数え切れないほど行なっている。近々では、一年前の古稀祝い同級会であるが34人(51.5%)が出席した。毎回、参加が卒業以来初めてとか、何十年ぶりという人がいて、もうそれだけで大いに盛り上がる。
 古稀祝いのとき、みっちゃんは卒業以来初めて北海道から参加した。みっちゃんは北海道から列車を乗り継いで仙台まで来て、そこからバスで同級会会場へと向かった。
 他の同級生もたくさん乗っていた。しかし、誰もみっちゃんに気づかないし、みっちゃんも同級生であることに気づかずにいた。それもそのはず、55年ぶりのことだ。会場の宿にたどり着いた時、誰かが「あんた、みっちゃん?」と話しかけたら「うん」と言って、あとは無言のまま抱き合っていた。皆の目がうるんだ。みっちゃんは少し腰が曲がっていた。でも、足取りはしっかりしている。
 みっちゃんは縁があって北海道の牧場経営の主人と一諸になった。広大な牧場に一時は牛が500頭はいたという。牧草刈から搾乳は日常茶飯事の仕事。最も苦労したのは牛の出産時。自ら何百頭もの子牛を取り上げたという。出産は一年中昼夜を問わずあり、家を空けることはできなかった。
 そして、すべて、手仕事であり、腰を使う仕事であった。その間、3人の子どもを育て、家庭の主婦の仕事もこなした。気がついてみると腰が曲がっていた、と。
 子ども達は皆立派に成人したがだれも牧場を継がないことになり、牧場経営を止めて、今は、主人と年金生活をしている。やっと同級会にも出られるようになったというのである。この苦労話を聞いてまたまた皆涙を流した。カラオケで誰かが「北国の春」を唱い始めたら、みっちゃんが舞台に上がり「私にも唱わせて・・・」と言ってマイクを持った。
 周りの同級生もみっちゃんと肩を組んで大合唱になった。みっちゃんは生き生きしていた。が、やはり泣いた。50年余の苦労が胸を去来したのだろうね。同級生の友情に心を打たれたのかも知れない。夜は、相部屋の同級生と遅くまでしゃべった。そして、「次の同級会にも必ず来るから」と言った。 
 我が中学時代の同級生は同級会をタイミングよく開いてきているので比較的まとまりがある方だと自負している。全員の名簿がいつも整っていることが強みである。
 そして、幹事役が各地区に3〜4人固定していることもいい。次の全体同級会は来年故郷で開く予定である。同級生の誼はまさに永遠なのかも知れない。
みっちゃんとの再会を楽しみにしているのは私だけではないはずだ。