大震災から2ヶ月、何が変わろうとしているか

 3日前、東日本大震災発生から満2ヶ月を迎えた。被災状況は極めて深刻である。

 死者は14,981人、行方不明者は9,853人に達している。県別には、主に宮城県が死者8,957人、行方不明者5,963人と最も多く、岩手県がそれぞれ4,407人、3,269人、福島県が1,553人、617人となっている。今だに11万5千人余の人たちが避難生活を送っている。
 岩手県陸前高田市に住んでいた高校同級生のKさんは津波に襲われたが、泥沼から助け出され一命を取り止めた。その後大船渡市の病院に入院していることを確認でき一安心していたところ、4月13日息子さんから電話があり、「父は被災して丁度1ヶ月後の4月11日、盛岡の転院先で亡くなり、今荼毘に付しているところです」という、訃報であった。
 奥さんも電話に出て、「主人は家を流さた衝撃もあり日に日に精神的に弱って亡くなりました。私はこれから住むところを探します」と落胆している様子が伝わってきた。残念無念、驚愕して多くを話せなかった。ここに彼の遺徳を偲び慎んでご冥福を申し上げる次第である。
 さらに、今次地震津波により東京電力福島第1原子力発電所も被災し、その放射能が漏れて同原発20km圏内の住民が他市区町村へ避難するという憂うべき事態になっている。子ども達は避難先の小・中学校へ転校を余儀なくされ、戸惑っているに違いない。
 農産物や近海の魚介類も汚染され、農漁業ができない状況にある。国際的にも日本は放射能汚染のレッテルを貼られ、輸出入に悪影響が出ている。ここでも原発の安全を信じていた多くの住民が大きな犠牲を強いられている。政府は一部原発廃炉、停止を含め原発の見直しを明言。
 このように、これでもか、これでもかと痛めつけ甚大な人的・物的被害をもたらしたこの地震津波は我が国・我々日本人にこれ以上何を求めようとしているのだろうか、と恨みたい気持ちになるが冷静に胸に手を当ててみる必要がある。
 まず、政治または政治家についてであるが、この大惨事のさなか、相変わらずの政権争いをしている。何十年も政権を担ってきた某党は、原発一件だけでも反省すべきことがあるのに、復興会議への参加を拒むなど協調性がない。時の政治家や財政力によってそれが異なっていいのだろうか。生命尊重に関しては与野党の境界は要らない。政治家は分別がなさ過ぎないか。国民性との乖離が大きすぎることに気づいてもらわないと震災の犠牲者は浮かばれない。
 当面やらねばならないことは復興事業である。国の出番である。どのような形でいつ頃までに復興するのか、そのヴィジョンを示すべきだ。我が国は地震国であることを再認識して安全対策を講じてもらいたい。政官が一体となって、単に東日本の復興というだけでなく我が国の未来像を彷彿させるものを目指し、ふるさとを去ろうとしている住民を呼び戻してもらいたい。           
 具体的な例として、今、連日大きな問題として指摘されていることの一つは、電力問題だ。東電のみならず今後は原発による電力に頼れないことが明らかになったからである。そこで、今すぐにでもできることは「節電」だ。国として約10%節電すると原発12基分に相当する電力を生むという。
 東京では、電車や駅、ビルや大型電気店、商店街などの照明も大分暗くなっている。電車は平常ダイヤの8割運転というがさほど不便は感じない。夏はクーラーの温度を28度以上にすればかなりの節電になるという。これも我慢のしどころだろう。政府は、15%の節電を決めた。
 震災によって、政治や経済、教育、文化など国や国民の有り様を今一度見直す機会を与えられたということになるが、まずは我々はこの苦い教訓を記録に残し、後世に語り継ぐ責務があると思う。そして、最終的には国民一人一人が本気で変わろうとする自覚と実行力が問われる。新たに国民性が問われることにもなる。
 今、我が国は既成概念から脱却しつつ、少しずつ何かが変わる兆しが見えてきたところである。私自身、その流れに後れを取らぬよう心したい。