読書アラカルト(2)「深い河」

 1993年6月に講談社より出版された遠藤周作(1923〜1996年)の小説。著者にとってこれが計らずも遺作になった。小説の「あらすじ」は次の通り。
 主人公は神父・大津。彼はフランスの神学校に入学するが、ヨーロッパの厳格なキリスト教を受け入れることができず、修道会から異端視され落伍者としてインド・ベナレスの教会へ転属させられる。
 しかし、そこでも異端の烙印をおされ、やがて教会から追放されて、ついには行き倒れた死者をガンジス河畔の火葬場に運ぶ毎日を選び取る。とは言え、彼が死者を届けるガンジスは、ヒンズー教の聖なる河、転生の河なのである。(転生〜生まれかわりの思想となると、これはキリスト教とは相容れない)
 「あなたはヒンズー教徒ではないのに」と問われて、大津は答えている。「そんな違いは重大でしょうか。もし、玉ねぎ(キリスト)が今、この町におられたら、行き倒れを背負って火葬場に行かれたと思うんです」と。そして大津は自分の運んだ行き倒れの人びとが火葬場で炎に包まれるとき、自分が手渡すこの人をどうぞ受け取って抱いてくださいと自分の神に祈る。
 彼はガンジス河を見るたびに神を考え、神の愛の河がどんな汚れた人間も拒まず受け入れて流れることを感じる。しかし彼はそれでもまだキリスト教の神父だった。教会から出ていけと言われても、彼は出ていけない。「ぼくが神を棄てようとしても・・・神はぼくを棄てないのです」
 大津はある日のこと、ヒンズー教徒たちから嫌疑をかけられ逃げまどう一人の日本人を守るため立ちはだかると、こんどは教徒たちは大津を取り囲み、四方から殴ったり蹴ったりした。大津は瀕死の重傷を負った。
 そのころ、かつてキリスト教をめぐって大津と激論を交わし、その後疎遠になっていた美津子は、大津がインドに渡っていることを知り、この火葬場付近で何日も大津を探していた。ついに美津子は事件現場で大津に出合うものの、会話を交わせる状態ではなかった。大津は病院に運ばれていった。
 「馬鹿ね、本当に馬鹿ね、あなたは」と運ばれていく担架を見送りながら美津子は叫んだ。「本当に馬鹿よ。あんな玉ねぎのために一生を棒にふって。あなたが玉ねぎの真似をしたからって、この憎しみとエゴイズムしかない世のなかが変わる筈はないじゃないの。あなたはあっちこっちで追い出され、揚句の果て、首を折って、死人の担架で運ばれて。あなたは結局は無力だったじゃないの」
 しゃがみこんだ彼女は拳で石段をむなしく叩いた。そして、担架の上の大津は、心のなかで自分に向かって呟いた。「これで・・・いい。ぼくの人生は・・・これでいい」
 美津子はその後、人づてに大津の容態を耳する。「危篤だそうです。一時間ほど前から状態が急変しました」

深い河

深い河

 ご存知の通り、主人公の大津は著者である遠藤周作でもある。大津の苦況は自分自身の苦況であることを著者は覚悟していたことは確かであろうと思う。「キリスト教と日本人」が遠藤の生涯のテーマであったが、「深い河」では、キリスト教唯一神論と日本的汎神論の矛盾を浮き彫りにしつつ、その融和点、和解点を探り出させようと試みている。
 11歳にしてカトリックの洗礼を受けている遠藤にとってキリストの行なった人類の救いとは、ヨーロッパ的な厳格な論理で規定されたクリスチャンに限定するような狭いものではなく、ガンジスのような宗教宗派に関係ない広い救済であったはずであるとしている。
 遠藤周作は、芥川賞を受賞した「白い人」、そして大作「沈黙」においても汎神論的風土における神の意味を追求している。これらはそのプロローグであり、「深い河」はエピローグとなった。
 「深い河は」の反響はさすがに大きく広がった。さらに映画化され、試写会のあと遠藤は「いいできだ」と満足そうに語ったという。
 しかし、病魔が遠藤を襲い、肺炎がもとで1976年9月この世を去った。遠藤周作には、その他にも違ったジャンルの小説や随筆もあるのでぜひお薦めしたい作家の一人である。なお、「深い河」は新潮社文庫本としても出版されている。590円。この3月で45刷に及んでいる。
*汎神論(はんしんろん):すべてのものに神は宿っており、従ってすべてのものが神である。総じて、神と世界とは本質的に同一であると主張する考え方。対義語は唯一神論。