町内会の班長になって

 この4月、10世帯の班長になった。と言っても、輪番制で任期は1年。大震災があって、ことさらに隣近所の存在の有り難さが再認識されているときでもあり、最初の回覧に一言書いた。「4月1日より1年間、第11班の班長を務めることになりました。何卒、よろしくお願い申し上げます。なお、この間のような大地震のときには、お隣同士、声をかけあい安全をたしかめあいましょう」歴代の班長さんのおかげで、第11班の「となり組み」はたいへん協力的で、まとまりがいい。
 そうした中、闘病中のとなり組みの奥様が亡くなり、きょう葬儀があった。となり組みとして最も悲しいできごとである。亡くなった日、一軒一軒、訃報を伝えると、皆がふだん親しくしていたので驚愕し、痛惜の念に駆られた。
 葬儀の時は、通夜と告別式の受付はとなり組みの人が担うことになっている。早速、皆さんにお願いしたところ、予定の人数よりも多く申し出があり、ありがたかった。お互いにとなり組みの絆を大切にしている証である 
 いずれにしても、「遠くの親戚よりも近くの他人」の喩えのごとく、日常的にはもち論のこと、非常時はなおさらにとなり組みが頼りになる。だからこそ、ふだんのお付き合いが大切であることをその実際を通して後世に語り継いでいかねばならないと思う。
 22日は町内の森の中にある神明神社のお祭りである。各班長は大人と子どもの御神輿の神酒所(休憩所)で冷たい飲み物やお菓子を用意し出迎えることになっている。子どもたちの楽しい思い出になっている。年々、御神輿の担ぎ手が少なくなって困っているが、毎年頑張っている若衆がいるので後世へ継承されていくはずである。
 神明神社天照大神主祭神として伊勢神宮内宮(伊勢市)を総本山とする神社である。祭神の天照大神は太陽を神格化した神であり、皇室の祖神(皇祖神)とされているため農耕儀礼と密接に結びつき、広く信仰を集めた。平穏安泰、五穀豊穣、厄病追儺を願う村民の心の拠り所として三百有余年信じて余りある。
 神明神社は、延宝元年(1673年)10月、上花輪村香取神社の摂社として創設(旧村社)。嘉永5年(1852年)11月、再建、上花輪太子堂の鎮守となる。明治5年(1872年)10月、村社となる。昭和6年(1931年)9月、本社殿修築。祭儀 元日祭 1月1日。 節分祭 2月3日。夏季大祭 7月22日。 秋季大祭 10月15日。(以上、社殿掲示より)
 町会には、神事部という役職があり、上記祭儀を執り行っている。たいへんなご苦労である。前述の御神輿も永々と執り行われてきた神事の一つであるが、平穏安泰、五穀豊穣(ごこくほうぎょう)、厄病追儺(やくびょうついな)を請い願う当時の村民の思いが伝わってくる。
 三百数十年後の今、私たちは大震災に見舞われ、わらをも掴む思いでいる。村民の願いはいかにも人間的で、科学万能時代を謳歌している我が国は、宗教・宗派を超えて拠り所としての心を先人に学ぶ謙虚さが必要なのかな、と思い知らされた。
 18班からなる町内会の一班長という平凡な役割を通して、となり組みの絆、いわゆる「鎮守の森」の謂れなどが町会という組織において培われ、語り継がれようとしていることを改めて知った。町会を形骸化してはならない。