私の中の韓流ドラマ『禹長春物語』(後編)

 禹長春(ウ・ジャンチュン)は園芸高等学校の女生徒達にこんなことも話している。

「私が今日あるのは二人の女性がいたからである。一人は母である。私を5歳の時から貧しいなか一人で育ててくれた。父の国のために役立ってくれるようにと教育された。もう一人は妻である。妻はいつも『研究に専念してください』と言ってくれた。おかげで、私は家庭のことは心配せず研究に専念できた。私は能力があったわけではなく、能力を出せるように妻が時間をくれたのである。皆さんも結婚して、夫や子どもから感謝される女性になってください」
 また、日本にいる子ども達には「戸籍だけでなく、精神も純粋な日本人になって育ってほしい」と言い残している。
 禹長春は自ら改良した品種が韓国の各地で花開き始めた1959年(昭和34年)、病に倒れた。病は重く、枕元には政府から「大韓民国文化褒章」が届けられた。
 「祖国は私をわかってくれた」。これが禹長春の最期のことばであり、熱い思いであった。1959年8月10日死歿。享年61歳。
 葬儀は国葬に匹敵する社会葬で行われた。日本からは妻・小春が韓国の衣装を身にまとい、目立たぬように参列した。そして、夫が世話になった方々へお礼を言って回った。
 その妻もそれから5年後に亡くなった。6人の子ども達は日本で生活しているが、長女が亡くなり5人は健在である。禹長春の墓は農村振興庁のある水原市(すいげんし)の丘の中腹にある。

 
 1991年、NHKスペシャル番組で「日韓で生きた歴史的農学者の生涯」と題して禹長春農学博士が取り上げられた。この物語はそのドキュメンタリを短くまとめたものである。
 その数年後、私は韓国旅行へ出かけた。2日目あたりに、若い女性のバスガイドさんに「禹長春を知ってる?」と尋ねると、「小学校の道徳の教科書やいろんな本に載っているので韓国人はみんな知っている」と、誇りを持って説明してくれた。
 愚問だったが、「韓国近代農業の父」「キムチの恩人」として国民が皆尊敬していることが確認できた。その偉業は称賛して余りあるが、家族を犠牲にして祖国のために研究に打ち込む信念の堅さには感服あるのみである。
 いわゆる韓流ドラマは2003〜4年にかけてNHKBS2やNHK総合でも放映された「冬のソナタ」を頂点に今でも静かなブームになっているが、私はほとんど見ていない。
 韓流ドラマは父権を尊重し、時には自由恋愛もままならない前近代的といわれる社会的障壁を取り上げメロドラマ化しているものもあるが、日本では父権はおろか核家族化が進むばかりで韓国人の生き方・考え方に関心が及んでいるのだろうか。
 禹長春の生涯をたどると、近代の韓国でも「男は家を継ぎ祖国を守る」という思想は変わらないと思う。どの韓流ドラマにもこの思想(源流)が流れているはずである。私は韓流ドラマが流行する前に韓国人の源流がぎっしり詰まっているドキュメンタリドラマ「禹長春物語」に出会い、そのすべてを見てしまった気がしてならない。