オワリはじまり
今年もお盆が終わった。16日には、例年通り「新盆追弔会」(施餓鬼)も行われた。私はたまたま、菩提寺(浄土真宗)の世話人の一人として出席し、読経、焼香の後の法話を拝聴する機会に恵まれた。
法話をされたのは三十代半ばの副住職である。法話の中心は、大遠忌七百五十回を迎えようとしている浄土真宗の開祖・親鸞聖人の教え「生死無常」を説くものであった。法話の締めくくりに、主にポップスを歌うというロックバンド・かりゆし58の「オワリはじまり」の詩を朗読して、少しだけ解説をされた。まずは、その歌詞を記しておくことにする。
もうすぐ今日が終わる やり残したことはないかい
親友と語り合ったかい 燃えるような恋をしたかい
一生 忘れないような出来事に出会えたかい
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい夕飯時 町 人いきれ 「ただいま」と「おかえり」の色
せわしない木漏れ日 花びら「おはよう」と「さよな ら」の音
ありふれた日々が君や僕の胸に積もって光る
今 動きはじめたものや もう二度と動かないもの
今 灯り出した光や 静かに消えていく光
この夜の向こうで 新しい朝が世界に降り始めている
旅立ちの時はいつだって少し怖いけど
これも希望のかたちだってちゃんと分かっている
思い出に変わるのは きっと最後の最後さ
笑って「さよなら」と言えたらいいな
またすぐ明日に変わる 忘れてしまっていないかい
残された日々の短さ 過ぎ行く時の早さを 一生なんて一瞬さ
命を燃やしているかい かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい
もうすぐ今日が終わる もうすぐ今日が終わる
かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい
若い世代の副住職にとって、世代が近い「かりゆし58」の詩や歌に惹かれる気持ちはよくわかる。そして、この詩をどう読むか、思料されたのであろう。すると、「生死無常」に繋がるものを感じ、法話を通して私たちに語りかけた。確かに、「オワリはじまり」の詩は、親鸞聖人の「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」と無常感を文学的に表現したこの歌に通じるように思う。
東日本大震災でたくさんの人々が亡くなった。その中に、高校の同期生も含まれている。生死無常とは言え、無念残念この上ない思いであるに違いない。また、首都圏在住の同期生2人も病いで鬼籍に入った。亡き人たちが、亡き仲間が、今生ある私たちを案じて「もうすぐ今日が終わる 一生なんて一瞬さ かけがえのない時間を胸に刻んだかい」と叫んでいる。さらに、お互いに支え合いながら、しっかりと「命を燃やしなさい」と。
今、自分はどこにいるのか、今いる自分は何者なのか・・・が問われるお盆であった。