NHK被災地のど自慢 9.11

 東日本大震災から半年になる9月11日、岩手県久慈市で「NHKのど自慢」があった。特に被災が大きかった岩手・宮城・福島各県から30組が出場。両親・兄弟・わが子など肉親や親戚、親友を亡くした人、家を流失した人、失業した人、放射能により遠くへ避難を余儀なくされている人など、殆どの人が被災者であった。
 福島県南相馬市の平仁一さん(56歳)は、一隻の漁船を所有する漁師。たくましい息子も後継者となって共に漁業に勤しむ幸せな日々を送っていた。しかし、あの津波によって漁船は内陸へ流され、今も真っ逆さまのまま陸地に横たわっている。「船は静かに復元しても多分使えない」と平さんは語る。仕事もなく仮設住宅に住む。
 その上、南相馬市放射能緊急時避難準備区域(30km圏内)になっており、最愛の二人の孫は息子の妻の実家・広島県に避難していて、余計に張り合いをなくしている。そんな姿を目の当たりにしている平さんの奥さんが夫の名前で「のど自慢」に応募した。
 もともと歌が好きな平さんは、落ち込んでばかりいる自分に活を入れようとのど自慢出場を受け入れた。そして、選んだ曲が円満な家族を謳った「夫婦絆」。平さんは家族の見守る中で、この曲を歌い上げみごとに鐘3つの合格。しかし、平さんにとっては「合格」は嬉しかったが、大好きな漁業ができない上に、家族が離れ離れになっている現状を元へ戻したい一心に変わりはない。
 放射能警戒区域(20km圏内)の福島県富岡町で牛を10頭余を飼い農業を営む豊田直助さん(81歳)は、いわき市の娘夫婦宅で避難生活を送っている。それぞれに名前を付けて可愛がっていた牛を置き去りにしてきたことを悔やみ涙を流す。「いずれみんな殺される」と。そして、生まれ故郷への思いは募るばかりで、時には近くの丘に登り富岡町の方角を眺めることもある。富岡町は全員が避難している。
 そんな時、「のど自慢」の報せがあり、豊田さんは何回も迷ったが、今の気持ちを富岡町を代表して歌い全国の人に知ってもらいたいと出場を決心した。歌は「津軽慕情」。この歌には、ふるさとへ帰りたい思いが込められていて、豊田さんの思いと一致した。
 豊田さんは予選会を経て本選へ。早速、郡山市はじめあちこちに散らばっている仲間に「のど自慢」に出ることを知らせた。本番の時は口込みで更に広がり、富岡町の避難生活者がテレビの前で応援した。「とてものど自慢へ出て歌う気持ちになれないが豊田さんはよく頑張ってくれた」と多くの仲間が豊田さんを称えた。
 岩手県宮古市で、津波により両親を亡くし、伯父はまだ行方不明という井内建夫さん(44歳)は、「千の風になって」を歌った。井内さんはよくお母さんにこの曲を歌って欲しいと言われていたが、歌う機会がなかった。地震の時、井内さんは仕事で盛岡にいた。地震発生と同時に両親に電話をしたがつながらなかった。「とにかく逃げて欲しい」。
 残念ながら井内さんが心配していた通りになった。それ以来、「そばにいれば両親も伯父も一緒に逃げていたのに・・・」という無念に苛まれる毎日。そんなある日、「のど自慢」が久慈市であることを知り、とっさに「千の風に・・・」を歌って、母の願いを果たしたいと思い、応募することに。
 幸い予選を通過。井内さんは、本番では、両親に何一つ親孝行してこなかったことを詫びると共に子どものころ丈夫でなかった自分を良く面倒を見てくれたことに感謝して、涙をこらえて切々と歌った。井内さんはずっしりと重い参加賞のトロフィを家に持ち帰り仏前に捧げて、しばし合掌した。
 この度の被災地・被災者NHKのど自慢は、未だに、いや一生涯癒されない心の痛みを訴え続けた。悲痛なまでの叫びでもあった。この叫びにどう応えるべきか。それは、国をあげて人が安心して住めて、仕事ができる街へ復旧・復興すことである。そして、ふるさとを創生することである。そのために一国民として支援・協力をし続けたいと思う。
 なお、平さん、豊田さん、井内さんについてのドキュメントは、昨日(23日)放映されたNHKスペシャル「きこえますか、私たちの歌が〜被災地・のど自慢」をもとにまとめたものである。