子どもの話に耳を傾けよう(詩)

 今年の11月のこと、大阪府のある市で、父親が7歳の男の子を胸の高さまで持ち上げて床に投げつけて、頭蓋骨骨折により意識不明の重傷を負わせた。父親は「夕食前に風呂にはいるように言ったが言うことを聞かないので床に叩きつけた」と認めた。
 また、8月には、京都府のある市で、母親の交際相手が11歳の男児の腹を殴ったり、足で蹴るなどして腹腔内出血により3ヶ月の重傷を負わせた。男児は体重が23kgで年長の幼稚園児並でネグレクト(養育放棄)の疑いもあった。
 これらは、いずれも「身体的虐待」であり、傷害の疑いで加害者は逮捕されている。多分、加害者は男児に対して長期的に暴力を振るったり、世話をしない、いやがらせや無視をするなどの行為をしていたのではないか。当然のことながら、もう家庭の機能は失われ、子どもにとってはこの上ない不幸なできごとで同情に堪えない思いである。
 ここに、これから子育てをしようとしている人や子育てに悩んでいる人、あるいはわが子への虐待から立ち直ろうとしている人に捧げたい「詩」(子どもの話に耳をかたむけよう)があるので紹介したい。
 
 きょう、少し あなたの子どもが言おうとしていることに耳を傾けよう。
 きょう、聞いてあげよう、あなたがどんなに忙しくとも。さもないと、いつか子どもはあなたの話を聞こうとしなくなる。
 子どもの悩みや要求を聞いてあげよう。どんなに些細な勝利の話も、どんなにささやかな行いもほめてあげよう。おしゃべりを我慢して聞き、いっしょに大笑いしてあげよう。子どもに何があったのか、何を求めているのかを見つけてあげよう。
 そして言ってあげよう、「愛している」と。毎晩毎晩。叱ったあとは必ず抱きしめてやり、「大丈夫だ」と言ってやろう。
 子どもの悪い点ばかりをあげつらっていると、そうなってほしくないような人間になってしまう。だが、同じ家族の一員なのが誇らしいと言ってやれば、子どもは自分を成功者だと思って育つ。
 きょう、すこし あなたの子どもが言おうとしていることに耳を傾けよう。
 きょう、聞いてあげよう、あなたがどんなに忙しくとも。そうすれば、子どももあなたの話を聞きに戻ってくるだろう。    ウェイトリー(アメリカの詩人)
 
 なかなか示唆に富んで、しかも感動を覚える詩である。特に、毎晩毎晩「愛している」と言うことや叱ったあとに「大丈夫だ」と言う場面は胸がしめつけられる。
 それから、子どもがある程度大人になって「家族の一員」であることを認められたときには、幸せであり、やはり、成功者だと思い大きな励みになり、すべてにおいて努力を惜しまないだろう。ここに子育ての妙味があり、親としての感慨がある。
 冒頭に紹介した親たちにはこんな体験をする余裕もないまま虐待に走ったのだろうか。子育てや家庭がこんなにも幸せをもたらすことをもっと早くに理解していたらそんなことにはならなかったのに。
 しかし、その気持ちになれば、今からでも遅くはない。子どもにしっかりと詫びて、抱きしめてやり、「やり直すこと」を誓うことができれば幸せな家庭を持てるだろうと思う。何よりも子どもが最も望んでいることだから。そして、この詩もその一助になれば幸いである。

郊外にあるイタリアンレストランの建物とバラがステキ