あと一日の2011年

 いろいろなことがあった1年であるが、あの東日本大震災がそのすべてをかき消すほどに大きく、重く占拠している。地震津波の恐ろしさが身体と心に染み付いて離れない。30日現在、死亡15,844人、行方不明3,451人である。どうしてもっともっと人命を救えなかったのか、と悔やまれる。あの地震は本当に人智をはるかに超えていたのだろうか、と疑うこともある。
 もうすでに、いろいろな角度から、多くの専門家や被災地の人達がその検証を行なっているが、もっと時間をかけてより多くの国民が納得するような結論を出してもらいたい。そして、それを後世にしっかりと伝承していきたいものだ。明治・昭和の大津波の教訓を今回の震災に活かした地域があったのでなおさらである。
 岩手県陸前高田市で辛うじて津波の直接被災は逃れたものの避難生活をしていた高校同期生のKさんが生々しい被災状況を何度も手紙に書いて送ってくれた。そんな時間はなかったはずなのに・・・・。しかし、あの惨状を訴えたい気持ちで、必死だったのだと思う。おかげで、まさに未曾有の被災であることを実感した。そして、被災者とどのように連帯していくべきかをより深く考える基になった。Kさんは震災後すぐに読み聞かせなど地味なボランティア活動をしており、頭がさがる。
 「人智を超えたかどうか」をまさに問われているのが、福島原発事故であろう。国はいつの間にか「安全神話」に酔っていた。だから、国や東電はロシアのチェリノブイリ原発事故があっても、また、原発のリスクを唱える人がいても謙虚に耳を貸す寛容さがなかった。結果的に国民を放射能にさらすことになった。
 国民は確かに原発の恩恵は受けているが、放射能汚染というリスクを負うことまでは付託していないはずだ。結局、国と東電は、原発事故は人災の部分が大きいとして、補償することになった。国を掌る日本の政治家や官僚は優秀であると言われており、国民は信頼し任せている。国を守り、人命を救うことが最終の責務なんだからそのことを弁えて政治に携わって欲しい。政争や隠蔽がまかり通る風潮を一掃しないと・・・・。今次震災の最たる教訓ではないのかなぁ。一国民としてもやるべきことはたくさんある。それは自己責任でやっていきたい。
 今年は、(1)健康(2)交友(邂逅)(3)知的刺激、を求めていこう、とスタートした。半分位実行できた感じであるが、日程的にかなり無理があった。そのぶん消化不良気味の時もあった。しかし、「あそぼう!」と言って、ゴルフやスキーや飲み会などに誘ってもらえて有難かった。(1)も今のところよい方かな。
 来年も同じ目標で・・・・。 雲のごとく高く、雲のごく輝き、雲のごとく自由に(小川未明)でいきたいものだ。最後に、高浜虚子の句を再掲して今年度のブログを終えたい。いつも覗いてくださっている方々に心から感謝し、次回からもどうぞよろしくお願いしたい。よい年をお迎えくださいね。
   国安く 冬ぬくかれと 願ふのみ  虚子
 
北海道ルスツスキー場イゾラ山(994m)から洞爺湖日本海を臨む。