「夫婦でも3割」論

 これは「夫婦でも一致するものは3割、残りの7割はそれぞれ自分と異なるものとして認め合う」という意味あい。政治、経済、教育等で最先端を行く論客・名誉教授U氏のことばである。昨年末、ある雑誌に書いてあるのを読んだ。
 これを受け売りするかのようにいろんな所で話題にすると、決まって反応がいい。ほとんどが60歳代以上の隣組の新年会では「もっと早く知っていればねぇ」と笑いながらも悔やまれたが、「なになに、7割は勝手にできるということかね」とか、「気が楽になったよ」と盛り上がった。
 男と女がある縁で夫婦になり何十年と過ごしているのに、あることではいつも意見が異なり喧嘩になってしまう・・・という例は我が家でもある。それぞれに自分の考えに合わせてくれないことに腹が立つからだろう。「夫婦なのにどうしてなんだろう」「夫婦は一心同体でなければならないのに」と。
 思うに、夫婦といえども、もとはと言うと生まれも育ちも違い、男と女という性差もある。それが考え方や行動に現れる。自分にないものを持っていることで相手を尊敬することもあれば、お互いに譲り合って行動や思考を一致させていくこともできる。夫婦としてこの部分が多ければ多いに越したことはない。
 それが「3割でいい」というのがU氏の持論。人は皆生まれながら備えている個性・特性がある。結婚してもそれは変わらない。夫婦でも全く違うか、やや似ているか、どちらかだ。特性とは「その人だけがもっている、他人と異なる特別の性質・性格」である。具体的には、優しいとか明るいとか、芸術・文化・スポーツや学問などの能力、人生観などが含まれる。
 個性・特性をお互いに尊重し合い、その内3割一致すれば十分夫婦としてやっていける、ということであろう。3割の中身は何になるか、どう吟味するか。
 夫婦という関係で「3割論」を考えてみたが、これを親子、兄弟、親戚、隣近所、職場などに当てはめてみるとどうなるか。子育て中の親の場合、子どもの「成績10割」になって、子どもの本当の成長の芽を摘んでいないか。兄弟でも個性・特性が異なることに気づいているか。部下の特性を見抜けない上司はいないか。
 我が家では、ことが起きても腹を立てないですむことがあるので「3割論」の効用が出てきたのかな。「あきらめ」でないことを願って閉じることにしよう。