時の人・橋下さんに注文

 今、大阪市長橋下徹さんをめぐる話題がかまびすしい。「かまびすしい」は、やかましい、さわがしいの意味であるがぴったしなので敢えて使うことに・・・。大物政治家やいつも辛口一家言持ち主の石原都知事も一目を置いている。確かに橋下さんは弁護士時代から疑義を感じると鋭く斬り込んでいくタイプで、知事や市長になってもその姿勢を貫いているので国民も注目し、期待している。しかし、小泉さんや鳩山さんのように「大山鳴動ねずみ一匹」とならないよう願いたい。
 特に、私が心配するのは教育に関することである。教育をも首長の傘下に置き、影響力を与えていこうとしているが弁護士でもある橋下さんはそれがすぐにできないことは分かっているはずだ。我が国の公教育は日本国憲法の精神にのっとり定めた教育基本法や学校法に基づいて行われており、勿論法的根拠のある教育委員会制度も施行されていて大阪市といえどもこれは避けては通れないからである。
 その教育委員会制度が果たしてきた意義については次の3点がある。教育における(1)政治的中立性の確保、(2)継続性安定性の確保、(3)地域住民の意向の反映。さらに、教育委員会制度の特性として、首長からの独立性、教育委員による合議制、住民による意思決定、などがある。これは教育委員会の役割でもある。
 これらはすべて日本国憲法が根拠になっている。第14条(政治教育)では、「学校教育において特定の政党を支持したり、またはこれに反対する政治活動」を禁じている。第16条(教育行政)では、「全国的な教育の機会均等と教育水準の維持向上」「教育が円滑かつ継続的に実施されるように」と謳っている。 
 もし、首長が直接教育の目的や目標などを定めるとすると、(1)が危うくなる。また、首長が選挙のたびに変わると(1)(2)とも危うくなる。その度に学校教育は混乱し、子どもたちも不安定になる。教育は「国家百年の計」と言われるように長い時間と計画性・継続性が求められている。ここはどうされるのだろうか。
 それ故に、首長から独立した教育委員会が政治的中立性を保ちながら教育の機会均等や教育水準の維持向上、円滑な学校運営等を長い目で指導・監督している。それで全てに問題がなかったわけではないが、長期的に見ると教育委員会の存在意義は大きかったのではないか。戦後の教育は憲法(昭和22年施行)、教育基本法(同)、教育委員会制度(昭和31年施行)等に依拠して行われ、今日の基盤を築いた事実は否めないと思う。
 というわけで、橋下さんは教育に関する関係法令をどのように改め、何をやろうとしているのか。少なくとも、憲法にもあるように政治的中立性は犯してはならないし、そのためにも教育委員会制度は必要だ。条例改正にしても橋下さんが首長を辞めてもず〜っと継続し支持されるようなものであってほしい。
 最後に橋下さんにお願いしたいのは、教育予算を大幅に増やして、先進国並みにすること。我が国の教育予算が先進国に比していかに少ないかは知っているはずだから。これならどこの首長もやろうと思えばできるのに、他の部署と平等に、などと言ってそうしようとしない。ぜひ、大阪市でその見本を示してもらいたい。教育が目指すのは学力・体力・徳育の向上であると思うが、お金をかけずにそれだけをねだってはいけないと思う。以上が時の人・橋下さんへの注文である。