被災地・陸前高田市を訪ねる

 25日(土)、高校の同期会のため帰省し、翌日、東日本大震災で莫大な災害に遭った岩手県陸前高田市を訪ねた。同期会では同市に住み、辛うじて自宅の被災を免れたものの、水も電気も食料も絶たれて避難所生活等でたいへんな苦労をしたKさんに3年ぶり再会した。
 同期会の席でKさんは、被災当時の様子を生々しく報告した。復興の見通しも立たない中で、市民はそれぞれに先のことを案じながらも日々の生活を大事にしているということである。Kさんはとても元気で、明るかった。しかし、ご主人が通院中で宿泊しないで帰宅した。
 最初に訪ねたところは「奇跡の一本松」。この一帯は「高田の松原」と称して、白い砂浜に沿って植えられた7万本もの松林。その景色がよく、また、海水浴場として近隣からたくさんの人々が訪れていた名所であるが、あの津波により、何とたった一本だけ生き残ったのである。まさに「奇跡」である。よくぞ生き残ったものであるが、さすがに体力を消耗し枯れはじめているという。

そういえば松の枝がどんどん高くなった   一本松の生存を期しながら、記念撮影
 
 風光明媚な松原海岸のすぐ近くには中学校があり、やはり津波により校舎・体育館とも全壊した。さらに奥の方にあった小学校も全壊。さらに内陸にあった高校も全壊し、校舎の枠組みは残っていたが使える状況にない。このように、15校の学校関係だけでも全・半壊が5校、残りの10校も一部損壊だという。

 陸前高田市は、大震災で死者、行方不明等1,927人であるが(被災当時の人口は24,246人)、近隣市町に比べるとかなり多い。また、7,458戸のうち、3,368戸が全・半壊、一部破損している。人口も住宅も温暖で、景色がよい沿岸に集中していたので、その7〜8割が被災した。市役所、公民館、体育館、図書館、博物館、保育所などの公共施設も全・半壊し、市役所は仮設の建物で仕事をしている。
 がれきの山をいつまでも離れない家族連れがいた。もしや、そこにご自宅があったのではないか。ご覧のとおり、未だに使用不能の建物や瓦礫の山が点在していた。



 陸前高田市へ向かう途中、気仙沼市宮城県)にも立ち寄った。気仙沼港からおよそ400mあたりの道路脇に何万トンかの漁船が打ち上げられたままになっていた。津波の恐ろしさを再認識させられた。また、道路沿いには仮設のマーケットが一軒あり、賑わっていた。港には大小の漁船や観光船が浮かび、平穏そのものだった。

 陸前高田市気仙沼市はじめ被災地の復興は未だしである。市民は将来に不安を抱きながらがまんの生活を余儀なくされている。この現実を国民一人ひとりが認知し、決して風化してはならない。Kさんからは、ぜひ自宅に立ち寄るようにと、ご案内を頂いたがそれは後日にということにし、ご健勝を祈りながら帰宅した。