3年ぶりの高校同期会

 先月25日、高校の同期会が古稀祝以来3年ぶりに開かれた。いつもは母校のある一関市内で開催されていたが、今回は世界遺産に登録されたお隣り・平泉のホテルが会場。すぐ近くには平泉文化遺産の一つ毛越寺(もうつうじ)があり、平安時代の作庭形式を今に伝えるという庭園が見えた。
 我々は昭和33年3月卒業の57回生で、6クラス310人。今回の出席者は69人。鬼籍に入った同期生が58人もいる。3年の間に12人が亡くなった。古稀祝のとき、「次は7年後の喜寿祝に再会しよう」ということになっていたが、「待ちきれないよ、どんどん死んでいくぞ・・・」という声に押されてその中間で開催することになった。

開会セレモニー              健康と再会を祝して盃を交わし合う

 私はあこがれの高校に入って有頂天になっていた。6月、ついにショックが走った。1年生最初の定期試験の成績結果が廊下に発表(1〜100番まで)された。夢中になって自分の名前を探したがない。何回も見たけどなかった。衝撃。優秀な仲間がたくさんいることを初めて知った。以来、卒業まで学業に苦しめられ、鍛えられた。そして、自分自身の能力の限界も教えてもらった。
 当時の母校は、いかにも古色蒼然とした木造校舎で、まだ少しバンカラの風潮も残っていて、寒い真冬でも素足で下駄履きだった。勉強は厳しかったが、そうした中で生涯の仲間もできて、今もその恩恵に浴しているから有り難い。高校生活は我が人生に黎明を告げてくれたと言ってもいい位にインパクトがあった。

一関市中心街。今はきれいな街並みに。駅から高校まで約1.5km、下駄を鳴らしてここもよく歩いた。

 母校は今は中高一貫校となり、新しい学校に変わりつつある。どうやら岩手県南の進学指導の拠点校として期待されているようだ。学区がないのでかなり遠くからも通学しているという。校舎も鉄筋になった。

 次は4年後だ。中には「おれはそのころいないよ。だからこれが最後さ・・・」と言って笑わせたが、もうすでに1クラス分いなくなっているから笑いごとでもないというわけ。「誰とは言えないが間違いなく何人かは死亡する。統計が物語っている」と、同期会会長の医師Kさんがあいさつの中で話したので、そんな話題が飛び交う同期会となった。されど、まだまだ死んではならない70代前半の同期生、がんばろうぜ!