スポーツ選手と反社会的行為

 きょうの新聞のスポーツ欄に、「某大学アメフット部員、部員50人処分」「中国地区某高校野球部に厳重注意」という記事が載っていた。「あ〜またか」という虚しい気持ちで読んだところである。
 前者は、8月、新潟県での夏合宿中にホテルの女性用風呂場をのぞいたり、未成年者へ飲酒を強要したり、暴力行為もあったことが内部調査で発覚し、大学が数試合の出場停止と15日間の活動停止処分をしたという内容である。某大学は学生王者を決める甲子園ボウルに2度出場している強豪。
 後者は、7月20日、某高校の野球部員が強制わいせつ行為などの疑いで逮捕されたという。同高校は甲子園大会出場校で、この事件は県予選中にあったがこの部員はベンチ入りしておらず、個人の事件として扱われたようである。
 高校や大学は、自校の運動部についてどのような教育をしているか、いくつか疑問に思うことがる。もしや、運動部員には体力や筋力を鍛え大会に勝つことだけを課して、学習や基本的な生活習慣の教育は軽んじていないだろうか。これまでにも同じようなたくさんの事例があったのにどうして自校の教育に生かせなかったのか。また、暴力行為等は内部告発はもとより世間の目は一層厳しくなっており、隠し通せると思っていたのだろうか、等々。
 スポーツは、一般的に精神力や体力を鍛えることと、より高度な技能を伸ばし身につけようとする楽しみがある。そして、誰もが願うのは、その過程で、生涯にわたって心身ともに健康で、有為な社会人に成長することであろう。これこそスポーツ精神なのである。
 学校の運動部はことさらにスポーツ精神を大切にしているはずであるが、一部には「勝つ」ことにこだわるあまり、部員は授業以外の時間は練習漬けで、一般的社会生活に疎くなっていないか。大学に至っては運動部員は授業にでなくとも卒業できるようで、甘やかしすぎだ。
 若者ゆえに異性に興味を抱くのは自然だ。スポーツ選手も例外ではない。それでも異性や性に対しては健康的な付き合い方や自制心が求められる。それは学習や読書、交友、そしてスポーツを通して培われるものである。
 暴力は、たいていは暴力を受けた者が繰り返している。だからどこかで断ち切らないと同じようなことは続くのみだ。運動部には暴力で根性を植え付けようとする考えが未だに存在しているのも残念だ。今の時代、暴力という野蛮な行為で、本物の根性は育つはずはないのに・・・。
 このような視点から、事案の高校生はどうだったのか。また、大学生は甘えやおごりも甚だしいが、過去の高校生活はどうだったのか、ともに検証し、かかる事案の再発防止に生かせないものだろうか。
 スポーツ選手だけが反社会的行為をしているわけではないが、スポーツ選手はたくさんのファンやサポーターが注目し応援しており、社会的にも影響力があるので厳しく責任を追求される宿命にある。当然、本人に責任を取ってもらわねばならないが、我が国のスポーツに対する考え方や選手の養成の在り方を根本的に転換しないと同じような事案が後を絶たないだろうし、世界で勝つことがますます困難になると思う。