被災地、陸前高田市を再訪

 10月21日、所用で帰省した翌日のこの日に高校の同期生Kさんが住む陸前高田市を訪ねた。8月には主に海岸沿いの被災地を訪ねて、「奇跡の一本松」や学校、市営住宅、ホテルなどの被災状況に驚愕したが、今回はkさんの案内で市の中心部分で被災が激しかったところを視察してきた。


 Kさんの自宅(手前)は海から700メートルの高台にある。しかし、津波はKさんの前の家の一階にまで入り込んでいる。Kさん宅をでると前方に海が見える。津波はここ一帯を駆け登ってきた。

 6mの防波堤があったが土台だけ残った。手前は津波の後に設置した防波用土のう。右はバイパスの陸橋があったところ。

 JR大船渡線脇ノ沢駅の踏切       このあたりは静かな住宅街だった

 取り壊し中の県立高田高校       市庁舎。正面には生花や千羽鶴が供えられていた

 市庁舎1階には乗用車が・・・     市民会館。いずれも海から1.5km付近にある

 JR陸前高田駅舎跡。前方は駅前商店街として賑わっていた。右は、駅の上り下りホーム

 震災の跡には住宅が立ち始めている   仮設ながら商店が立ち並び活気が出てきている 

 陸前高田市津波により、死者・行方不明等1,927人(当時の人口の約7.9%)、全半壊等住宅3,368戸(全戸数の約45%)に及んでいる。市の本庁舎、市民会館、体育館、図書館、公民館、消防本部、保育所、学校、防災行政無線親局、JR駅舎、病院、道路50km等が全半壊し、完全に市民の生活機能を奪われたのである。
 市は「海と緑と太陽との共生・海浜新都市」をスローガンに震災復興計画を立て、24年度を初年度とし30年度までの主要事業ロードマップを作成した。例えば、市営住宅120戸(26年入居)、第2次180戸(28年入居)の建設、保育所の再建(26年)、公共下水道、小中学校の統廃合など公共施設の復興を目指している。
 さらに大きな課題は一般の住宅建築問題。今、仮設住宅は2,168戸。いつ、どこにどのような形で自分の家を建てられるのか。そのめどはまだ立っていない。それでも、仮設的に自宅を建て住み始めている人もいる。商店もできて生活必需品は購入できるという。
 Kさんは言う。「少なくともあと十年はかかるね。みんな歳をとってしまう」と。岩手でも比較的温暖な陸前高田市にもやがて震災後2回目の冬がやってくる。少しでも温暖であってほしいものだ。心身ともにしっかりしているKさんの案内に感謝し、かえって励まされながら陸前高田市をあとにした。