「論語」静かなブームに

 「論語」は、孔子(西暦555〜475)の弟子たちが、孔子などの言行を書いた書物である。今からおよそ2500年も前の孔子たちの思想や行動が綴られているが、それによると、人間は大昔と今も変わっていないことに気づく。その論語が子どもたちから大人たちの間でブームになっているという。
 子曰、己所不欲、勿施於人。これを小学生がいとも簡単に「子曰く、己の欲せざる所は、人に施すことなかれ」と口ずさみ、やがてその意味も理解するようになるというのである。それは、素読という指導法に負うところが大きいように思う。
 小学生にとって素読の楽しさもさることながら、この漢文の意味内容が「自分が他の人からされたくないことは、自分も他の人にしてないけない」「自分が嫌だと思うことは他人にしてはいけない」というものであることを知るとなおさらに感興を覚えるであろう。孔子もこの言葉は複数回使用するほど重要視している。
 時あたかも「いじめ」が大きな社会問題になっており、この中に「いじめ」防止の基本理念が含まれていると思う。道徳というよりも現実的で、また人間的で説得力がある。それが2500年前の古代中国の人間の世界ですでに語られていたことを思うと、人間の心は永遠に不変だ。
 ところで、論語で最も多く、また、最も孔子の思想を語っているのが次の有名な言葉であるといわれる。 
子曰、学而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎。人不知而不◯、不而君子乎。子曰く、学んで時に之を習う、またよろこばしからずや。朋有り、遠方より来る、また楽しからずや。人知らずしていきどうらず、また君子ならずや。(◯のところには「怒る」という意味の別の漢字が入る)
 学ぶことの大切さ、ともだち(学友、同門の友)の存在を大事にする、腹を立てず寛容こそ理想の人物。古今東西、人間として最も必要とされる資質であり、どこでも通用する言葉である。孔子の人柄そのものが表れているようにも思う。
 最後に、これもよく知られている孔子の名言。
子曰く「吾れ十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順(耳したが)う。七十にして心の欲するところに従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」
 さしずめ七十の私には「矩を踰えず」だろう。いろんな「矩」がある。「不踰矩」(ふゆく)という言葉に置きかえて大事にしていくことにしよう。結局、小学生どころか七十の自分自身が「論語」に心を引かれてしまったようだ。