芝山はにわ祭

 先般、千葉県芝山町で開催されている第30回「芝山はにわ祭」を見学してきた。これは町博物館と芝山仁王尊観音教寺の芝山はにわ博物館、さらに早稲田大学文学部考古学研究室の三者が主催。芝山町成田市の南側に位置し、成田空港の一部が町にかかっている。面積は43.47平方キロメートル、人口7,702人という小規模の町である。

台地や田畑が広がる芝山町。街角の埴輪が私たちを迎えてくれる。
 芝山町をはにわの里として有名にしたのは、古墳一帯の地主である観音教寺住職から依頼されて昭和31年に早稲田大学が中心になり殿塚・姫塚の発掘調査を行い、多量の人物や動物の埴輪が出土した。それが行列をなしており、葬送儀礼を示すものではないかと注目されたからである。

左が、殿塚古墳で全長88m、高さ7.8mの芝山古墳群中最大。右が、姫塚古墳で全長58.5m、高さ4.8mの群中2番目の規模。ともに前方後円墳で二重の周溝があり、埋葬施設である横穴式石室からは、大刀、勾玉、耳環などが出土。

昭和31年(1956年)の殿塚(右)・姫塚(左)古墳測量図。右の写真は、両古墳の発掘の様子。当時の資料によると、地元青年団消防団・婦人会・中高校生・教員等が発掘に参加したという。殿塚からは人物・動物・器財など70体以上、姫塚からは馬子や馬など40体以上がそれぞれ発掘された。

仁王尊観音教寺早稲田大学が所蔵している両古墳の発掘写真(1956年)。右は、姫塚と殿塚から出土した女性埴輪。島田結(ゆい)のような頭髪が興味深い。顔の表情もいかにも女性らしい。
 
 千葉県には12、000基以上の古墳が存在し、その中で芝山町だけでも500基以上もあったと言われているが、現在は約280基の古墳が確認されている。芝山町で発掘された円筒埴輪などは、古墳に葬られた豪族の霊を守るために古墳の中段に立てられ、やがて人物埴輪を交えて儀式の様子を表現するようになったことがわかる。また、出土品から、古墳時代(3〜7世紀)の歴史や生活の様子をかいま見ることができる。
 古墳や埴輪といった「埋蔵文化財」は現代に生きる人々のために何ができるのか。過去に学び、それを未来に活かすためにどのように学問と向き合うべきか。これが考古学に携わる学生や教師・教授・行政や学芸員等の永遠の課題だ。
 この疑問に、当時殿塚・姫塚古墳発掘を指揮・指導した早稲田大学の滝口宏名誉教授は「学問も独りよがりになってはいけない。できるだけ多くの方々に理解していただきたい。その方々の心のうるおいになることができればその方が望ましい]と語り、出土品はすべて地域に残すことにした。
 埴輪等の出土品は、古墳の地主である観音教寺の博物館と芝山町博物館に展示されている。そして、今や「芝山はにわ祭」は30周年を迎え、地域固有の貴重な財産となりつつある。滝口名誉教授の願い・予言が的中したのである。
 思えば、当時若干30歳余の観音教寺濱名徳永住職(83歳)が古墳発掘を思い立ったことが事の始まりで、考古学にとっても貴重な埋蔵文化の発見となり、また町民の心の拠り所にもなっており、その英断は賞賛に値する。
 「芝山はにわ祭」は12月2日まで両博物館を会場に開催されている。
    観音教寺と芝山はにわ博物館(右奥) 芝山町立古墳・はにわ博物館