成田山新勝寺を詣でる

 きょう、成田山新勝寺を参拝。「すべての人が健康で、充実した人生を」と祈願。当寺のお不動さまは「人々の一切の煩悩と迷いを断ち、すべての人を救う」として庶民の信仰を集めている。きのうは「節分会」で、横綱白鵬大関稀勢の里らが追儺豆まきをし、8万人が集まったという。

       総門(2006年)             仁王門(1830年

       大本堂(1968年)            大本堂の参拝者
 成田山新勝寺真言宗智山派大本山の一つで、940年、寛朝大僧正が開山。真言宗の開祖・弘法大師空海が敬刻開眼した不動明王の御尊像を御本尊として開山された不動尊信仰の総府。年間の参詣者は約1000万人。横浜、札幌、大阪、名古屋などに71箇所の別院、分院等がある。
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 きょうも参拝者が多かった。JR成田駅京成成田駅からの言わば参道には老舗の商店や食堂、旅館などが立ち並び、参拝客で賑わっていた。うなぎやワカサギなど魚介類、落花生、せんべい、漬け物など地元や千葉県産の土産物が目立つ。正面奥3階建の大野屋旅館(右下)は創業300年、成田市で初めての国登録有形文化財に指定されている。この光景は何十年も前と同じである。
       
 成田山新勝寺節分会の昨晩、十二代目市川團十郎さんが肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。66歳だった。折しも新勝寺では、成田屋市川團十郎・親子の絆と御霊験〜第2回東日本大震災被災地支援報告展示会を開催中である。きのうは入院中の父に代わって長男の市川海老蔵が豆まきに来ていて、帰京数時間後に父の臨終を看取ったという。

 1688年のこと、初代市川團十郎には子どもがいなかったが、成田山御本尊の霊徳により一子を授かった。團十郎丈はこれを喜び、「成田屋」の屋号を名乗り、不動明王が登場する芝居を始めた。その子どもは二代目市川團十郎を襲名することになり、その時から今日まで市川家と成田山はお不動さまのご縁を大事にしてきた。現に、昨晩亡くなった市川團十郎と十一代目市川海老蔵成田山に襲名奉告をし、参拝している。

 きょう新勝寺を参拝することは早くに決めていたのであるが、その直前に成田山と深い縁の市川團十郎さんが亡くなるとは信じ難いことであった。中村勘三郎さんも他界したばかりで、歌舞伎界は厄除けしないと・・・。記憶に残るだろう成田山詣でとなった。


❏「2月」の異称・・・・如月、令月、雪消月、梅見月、初花月、周四月、仲春、春中、春半、仲陽、桃李節、令節、美景、恵風、萃朝、著更衣など。