東日本大震災あす2年

 きのう、岩手県陸前高田市の高校同期生Kさんと電話で話した。彼女の家は海岸から700mの高台にあるが前の家の1階まで津波が押し寄せてきた。Kさん夫妻は辛うじて津波から逃れたものの電気、水道、交通が絶たれ何日も避難生活をしている。あの日からあす、満2年になる。Kさんの話をまとめてみた。
 ご無沙汰しています。いつも心配し、励ましてもらい感謝しています。私、今ね花粉症で苦しんでいます。それに昨年11月、夫が急逝して夜になるとなんとも言えない寂寥感に襲われます。そういえば、このところ高齢の人が亡くなっています。私の夫もそうですが、多分に大震災の衝撃が死を早めているようです。
 さて、お陰様で復興の足音は聞こえてくるのですが、なかなか実感できないというのが本音です。元気な様子がテレビ等で報道されますが、それは一部で市民全体は心底元気にはなっていません。例えば、最も津波の被災が集中している旧市街地は、5〜6m嵩上げしてその上に公共施設や住宅を造成する計画ですが、今は、取り壊した市役所等の瓦礫が積まれていて、まるで「荒野」のようです。嵩上げ工事だけでも5,6年はかかるそうです。仮設住宅でその日を待っている高齢者は、「生きているうちに自分の家に入れるだろうか」と心配していますよ。  

JR陸前高田駅上下線ホーム       その隣駅、脇ノ沢駅付近(いずれも昨年10月)
 JR大船渡線は一関駅から気仙沼駅までは開通していますが、その先から終点の盛駅までの11区間は不通のままです。陸前高田市内の駅は全て不通です。JRでは今の路線ではまた津波が来たら流されるので、もっと高台に移すことを考えているようです。しかし、それが「いつなのか」は不明のままです。不通区間はバスが代行していますがバス代が高いので高校生には負担が大きいですね。
 学校関係は、特に中学校の校舎の被害が大きく、また、生徒数も減少しているのでこの際統合することになりました。その新校舎も土地探し、造成、建築に2年はかかると思います。今は統合予定の中学生は小学校の空き教室を間借りしていますのでそのまま完成を待つことになります。
 津波被害に遭った土地には自宅と言えども建てることはできません。かと言って他市町へ移住し建てる人もいません。やはり生まれ故郷を離れたくないのです。仮に、移住しようとしても、土地代や建築費は莫大になり二の足を踏むことになります。したがって、仮設住宅での避難生活に頼らざるを得ない市民が多いわけです。被災者の最も切実な願いは「一刻も早く自分の家に住みたい」ことなのです。
 この地域は冬も比較的温暖なのに、今冬はいつになく寒くて、雪も2,3回降って雪かきが大変でした。雪に慣れていないのであちこちで交通事故が発生し、私も恐いので買い物は遠路でも歩いて行きました。
 花粉もあと2ヶ月は居座ることでしょう。あなたも年齢には不足のない同期生だから、健康だけは大事にしてくださいね。そして、また帰省しましたら、ぜひ陸前高田へ来て下さい。そうすれば過去と比較して復興の状況もわかると思います。その復興がどんどん進むことを念願しています。

 
 以上がKさんの話のあらましである。元気だったご主人は震災を堺に急に体調を崩し、歩行も困難になった。親戚や知人、たくさんの教え子たちが亡くなり、行方不明になり、その心痛が死を早めたのも事実であると思う。昨秋自宅でお目にかかって1ヶ月余に亡くなり驚嘆した。今度おじゃました時に墓前にお参りすることにしている。震災は目に見えないところで人命を脅かしていることに驚異を感じている。