東日本大震災、きょう2年

 死者15,881人、行方不明者2,668人、避難生活者315,196人。痛ましい記録だけを残して、きょう大震災満2年を迎えた。無念にも尊い人命は取り返しができない。せめて、避難生活者が何より早くゆったりと安らげる自宅に住めるようにしてあげたいものだ。
 きのう、岩手県出身者のふるさと会として、この大震災を風化させないために、また、少しでも連帯感を共有していく証に、昨年に続き駅頭で支援募金を行った。子どもたちから高齢者に至るたくさんの皆さんに貴重な募金を頂戴した。早速行政機関を通して確実に被災地に届けられるよう手続きをすることになっている。

 友だちとどこかへ遊びに行こうとする小学生の女の子たち。財布を取り出して中を覗いてお金を取り出し、募金箱に入れてくれた。部活動の練習試合に行くという男子中学生も財布をカバンから出して募金をしてくれた。多分、お小遣いの一部のはず、思わず目頭が熱くなった。また、子どもをおんぶしているお母さんもバックから財布を探しだし募金を。お母さんからお金を預かって募金してくれた女の子。みんな子どもの将来を慮っての心遣いに違いない。どうか子どもたちの未来が安泰であるよう祈るのみである。
 
 60代の女性。茨城県いわき市の実家では、地震津波の被害はなかったが、放射能が心配で兄の孫が両親と一緒に自主的避難をしているという。「放射能は本当に恐いね。特に子どもが心配で・・・。」と涙ぐむ。
 70代の男性。岩手県の実家では兄があの有名な「前沢牛」を飼育しているが、牧草から放射能が検出され、除染で苦労をした。それ以来風評被害が続き牛の売れ行きに影響しているという。「姿が見えない放射能は手に負えない」と実家を案じていた。
 
 岩手県一関市出身の30代の女性。同郷の人達がいることに気づいて近づき、募金をしてくれる。その後同郷の人と子どもの頃過ごしたふるさとの話をして懐かしがった。時々帰省しているという。同じく主人が花巻市出身という60代の女性。花巻には何回も行っており「決して他人事とは思えない」と言い、募金をしてくれる。
 浅草出身の70代の女性。「私はね、4歳のきょう東京空襲に遭ったけど公衆トイレにいたので助かったの。奇跡だって、母が言った。この空襲で10万人が死んだからね・・・」と話す。東北には親戚や知人はいないが被災地には旅行したことがあり「本当に気の毒で、胸が痛くなります」と顔を曇らせた。そういえば我が国では一日違いで大空襲と大震災に見舞われている。
 
 無言のままで、笑顔で、会釈をして、一声かけて・・・募金をしてくださった多くの皆さんに心から感謝とお礼を申し上げたい。あの大震災に対して一個人としてできることは限られているが被災地の人達との連帯感を持ち続けることはできそうだ。それができれば被災者に寄り添い、いろいろな支援の仕方も浮かんでくるであろう。募金活動も連帯感の一環である。ここ首都圏も「あすは我が身」の宿命にある。