日光東照宮へ

 きのう、梅雨とはいえ真夏日になるというので、涼と森林浴を兼ねて東武電車で久しぶりに日光東照宮へ。妻は、もっともっと久しぶりらしい。
 

バスを待つ旅行客。高齢者が多いのはいつもの光景だが、子ども連れの若い中国人夫婦も。バスで神橋まで行き、直に神橋を拝見。ふだんは通行止め。下を流れる大谷川(だいやがわ)の清流がきれいで涼を感じる。

神橋から長坂を歩いて輪王寺へ。坂を登り切ると、766年、日光山を開山した僧・勝道上人(735〜817、今の真岡市の生まれ)像がお出迎え。ところが、日光山の一つ輪王寺の三仏堂は老朽化が進み、10年がかりで修復中とか。ご覧の通り、大きな囲いに包まれ姿は見えず。あと7年かかるという。拝観はできるが、完成した時にとっておくことに。

輪王寺宝物殿の庭園(逍遥園)。そこから5、6分歩いて、東照宮へ。
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当時は幕臣や大名しか使えなかったという陽明門。508体の人物、霊獣・動物、花鳥、地紋の木彫像はまさに工芸品だ。陽明門をくぐると正面に唐門(からもん)。本社にあって最も重要な正門。古代中国の伝説や歴史をもとに描かれた木彫像の数々に圧倒される。もちろん、いずれも国宝。

家康公の神柩が納められている奥宮銅宝塔(墓所)。5代綱吉公のとき今の唐銅製(金銀銅の合金)に改鋳。徳川家康(1542〜1616)の遺言「私が死んだら、まず、久能山に納め、一周忌が過ぎたら日光山に小さな堂を建てて勧進せよ。関八州の鎮守となろう」により、1617年、東照宮が造営され、家康の遺骸が移された。右は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿。これらの木彫像は平和を象徴しているという。

二荒山神社男体山、女峰山、太郎山のほか、日光連山を神体山として祀る神社。遠足の小学生、いいね。右は、二社一寺を結ぶ樹齢何百年もの杉並木。涼も森林浴も満たしてくれる。
 
 ご存知の通り、「日光の社寺」は1999年(平成11年)12月2日、文化遺産として世界遺産登録された。登録されたのは、今回訪ねた「日光東照宮」「日光輪王寺」「日光二荒山神社」の二社一寺、103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の「建造物群」とこれらを取り巻く「遺跡」である。あらためて、その貫禄、充分であるように思えた。
 勝道上人が開山した日光山は修験道の地として鎌倉幕府の寄進を受け、また、東照宮を造営し、家康公、家光公の霊廟を持つことにより江戸幕府とは直轄の地として関与している。日光が栄えた所以であることを再確認。

 あさ、9時過ぎに家を出て、夕刻5時に帰宅。石の階段や坂道が多く、妻は難儀したが、「これが見納め、しっかり見ておいたよ」と一言。帰りがけに食べた、湯葉づくしの遅い昼食が美味しかった。