きょう、66回桜桃忌

 きょうは太宰治の「桜桃忌」である。生まれたのは1909年(明治42年)6月19日。1948年(昭和23年)6月13日、玉川上水に入水し、遺体が発見されたのは奇しくも誕生日と同じ6月19日であった。太宰はその直前に「桜桃」という小説を書いていたことから、19日が「桜桃忌」と呼ばれるようになった、という。命日は13日。
 その「桜桃忌」は66回目を迎えた。新宿で50年来バーを経営している林聖子さんは、少女の頃から太宰をよく知っている人の一人。実は、「桜桃忌」の今朝4時台のNHKラジオ深夜便」に林さんが出演して、太宰について話した。
 戦前、太宰も林さん母娘も三鷹に住んでいたが、空襲で焼きだされ、それぞれ疎開した。終戦まもなく三鷹で再会。その時のことを太宰が書いた「メリイクリスマス」という小説の少女のモデルが林さんだったという。太宰36歳、林さんは18歳の頃だが、太宰は林さんをよく可愛がっていた。太宰は、男女というややこしい感情なしで安心して付き合っていた。
 林さんは今、80歳代半ば。声に張りがあり、記憶も正確で、若々しい。林さんが、「太宰が行方不明になった」と聞いたのが6月14日。「玉川上水に入水したのではないか」という噂により、行ってみると警察官たちが大勢きて探していた。入水したと思われる場所に行ってみると、太宰がよく使っていたお皿と瓶が置いてあったので、林さんは間違いなくそこから入水したと確信した。
 6月19日、遺体が発見されて、むしろのようなものがかけられていた。残念ながら遺体は太宰と愛人と言われる女性であることが判明した。林さんは、生前、太宰が「自殺するのではないか」といううわさを耳にしている。それに対して太宰は「あの子(息子)を残して死ねない」と否定した、という。よって、自殺は謎に包まれ、いろんな自殺説が飛び交うことになる。
 太宰治と言えばずいぶん大昔の人のように思えるが、太宰をよく知る林さんのような人が実在することでより身近に感じる。太宰の自殺の真意を林さんはよく知っているのではないかと思う。今のうちによく聞いておきたいものだ。
 ラジオ深夜便は滅多に聞くことはないのに、今朝は、たまたま目が覚めて、時刻を確かめるためにラジオのスイッチを入れたら林さんのインタビューが始まるところだった。お話も上手だし、太宰をよく知る人ということで興味が湧き、最後まで聴き入った。林さんを知ったのも初めてであった。お陰さまで、今年はひと味違う「桜桃忌」となった次第である。