読書アラカルト(13)「心」 姜尚中著

心

 著者は、4年前に25歳の息子を亡くした。それ以来、息子の死に向き合い、その死を乗り越えて生き抜き、立派な父親としてわが息子と「再会」することを模索していた。その折、息子とは何もかも違うのに、何故か息子を彷彿させる大学生「直広(なおひろ)」君と出会う。ちなみに、著者の息子の実名は「尚大(なおひろ)」君。
 直広は同じ大学の親友の死に遭遇し苦しむ余り、ある日、姜先生の著書のサイン会に行き、いきなり「これを読んでください」と言って手紙を差し出し、走り去った。先生は、サイン会を終えて帰宅する途中、青年の手紙のことを思い出して、読む。「親友の死は無意味なのでしょうか」と訴えている。最後に、メールアドレスも添えてある。ここから、直広君と先生のメール交換が始まり、その後、直接会って食事をすることも・・・。
 直広は、ライフ・セービングが趣味であるが、親友の死と3.11が重なり、被災地で水死遺体の引き上げ作業に加わることを決心。一日かけても見つからなかったり、見つけたものの性別も年齢も分からない程腐乱していて、想像以上に苦労を強いられる。あまりの辛さに食事がのどを通らない日が続いた。そして、「死」というものについてさらに思い悩む。その都度、直広は先生にメールを送り、その返信により、少しずつ死生観が確立していく。
 私自身、「どんな人生が生きるに値するのか」の問いにハッとさせられた。「そのためには何に価値があって何に価値がないのか、何をなすべきで何をしてはならないのか、また何を承認し何に反対するのかといった問いに対する答えを自分で見つけださなければならない」「それはけっこう骨の折れることであり、時には傷ついたり、幻滅したり、さらには絶望したりすることもある」。なるほど。そして、その答えのヒントとして、ゲーテの『親和力』(1809年作)という作品を紹介する。「親和力」、なかなかいいことばだ。
 さらに、「生の中に死が含まれている。死の中に生がくるみ込まれている。死は生を輝かしてくれる」。だから「死にはそれぞれに意味がある」と先生は説く。そして、人生を「砂時計」に例えて、上の砂が「生」で、下の砂が「死」。上の砂がくびれをもがきながら下へ落ちていく。この「もがき」が大事である、と。いつしかすべての砂が下に落ちたとき、それがその人の人生の証として永遠になる。「死は単なる過去ではない所以だ」
 先生は、大学生の直広と何回もメールを交わしたが、常に実の息子が頭から離れない。極端に言えば、すべて息子とのメール交換であったかも知れない。しかし、「直広君に生きる力をもらった」ことを正直に認めている。4年前よりは、息子の死ににきちんと向き合えるようになったからだ。そして、息子が残した「生きとして生けるもの、末永く元気で」ということばの意味が「生きろ」と訴えていることを実感し、直広にこのことばを送り、メールを閉じる。
 この長編小説は著者の息子の死がモチーフのノンフィクションノベルであるが、我が子に先立たれた父親の悲痛な叫びであろうと思う。20年程前、奇しくも同じ25歳の息子を亡くした柳田邦男のドキュメンタリー小説「犠牲」(1995年、文藝春秋社)を思い起こしている。
 定価 1200円+税  集英社  2013年4月10日第1刷発行