被災地・陸前高田市のその後

 9月30日、東日本大震災で甚大な災害を被った岩手県陸前高田市を訪ねた。3回目になるが、被災した市庁舎、図書館、県立高校などの公共施設やホテルなども撤去され、以前にもまして一見「平原化」している。所々には未だに大型の瓦礫が積まれている。また、住居跡はコンクリートの土台だけが残り、雑草に混じってコスモスが咲いていた。話題になった「一本松」は複製されて、元の位置に立っている。被災から2年半経っているが、やっと後片付けが終わりに近づき、これから何年か後には「我が家」に住めるようになるか・・・という復興の足取りである。

 辛うじて津波から逃れた高校同期生のKさんに案内されて、彼女がかつて勤務した中学校を訪問することになった。この4月に、被災したもう一校と統合し、生徒たちはすぐ馴染んで活気を帯びているが、施設の方が目一杯で窮屈そうだった。2年後に新校舎が完成すという。当時、この中学校は避難所になり、体育館や教室にも200体以上の遺体が運ばれ、やがて校庭には仮設住宅が建設された。

 高台にあるこの中学校は津波からは逃れたが地震で校舎は相当に傷み、補強して使用している。今、校庭の仮設住宅には81世帯が居住している。何所帯か転居して空き始めているという。700mほど向こうには海が広がっている。それまでは、のどかで、ゆったりした風景を楽しんでいたはずであるが、今は悪夢を蘇らせるもとになっているに違いない。

 この中学校には被災後すぐに全国の中学校からお見舞いの手紙や寄せ書きなどが送られてきた。それが今も続いており生徒たちの励みになっている、と案内してくださった副校長先生がしみじみと話された。津波で親や兄弟、友だちを亡くした生徒がいることを案じての言葉だった。
 近々文化祭が予定されており、各クラスは合唱の練習をしていたが、混声2部の歌声がきれいに響き渡っていた。悲しみや悔しさを振り払うかのように。がんばれ、中学生たち!

 ここに、何一つとして風化させないように陸前高田市の被災状況を記しておきたい。
 死者・行方不明者1,927人(当時の人口の7,9%)、全半壊住宅3,368戸(全戸数の約45%)、道路50km、橋梁23カ所、小中学校全壊4校、動力船1,358隻など。「高田の松原」として近隣の人々とから親しまれていた7万本の松林は1本だけ残して持ち去られた。

 かつての住宅地は8〜10mかさ上げして、そこへ住宅を建てる計画だが、少なくとも6年はかかるという。また、高台の森林を伐採して住宅地にする工事も始まっている。しかし、Kさんはじめ多くの市民は「復興するまでみんな歳とってしまうよ」と嘆いているのではないか。


「10月」の異称  神無月 陽月 良月 大月 玄月 陰月 時雨月 雷無月 鎮祭月 初冬 孟冬 上冬 初霜月