伊豆大島の土砂災害に心痛

 台風26号が10月15、16日、関東地方各地に大雨をもたらした。中でも、伊豆大島は24時間で824mm(夏場でも月平均330〜350mm)もの豪雨により発生した土石流が住宅地を襲い、33名の死亡が確認され、今なお9人の安否が不明である。少なくとも30戸が全半壊、250戸が被災している。


 これは本島の中心街、元町地区である。8300人余の人口の4分の1が集中している。茶褐色の建物が町役場、その上方につばき小学校があり、土石流はそこから百数十メートル近くまで迫った。1986年に噴火した三原山(758m)の火山灰や土石が大雨により流れ出したのではないか、といわれている。町では、砂防ダムの建設や防災手帳などを配布し「火山の町」としての備えをしてきたが、800mm余の大雨にも関わらず「避難勧告」を出さず、町長は「土砂災害の認識が甘かった」と語った。

 ほぼ1年前の昨年10月26日、私は仲間と同島1周のツーリングを楽しんだ。風光明媚な光景を堪能し、島民の飾らないもてなしに魅せられ、また、訪ねてみたいと思っていた。東京の竹芝桟橋から1時間40分、さほど離れていないが、気候といい、自然といい八丈島のような「南の島」の雰囲気がある。
 お世話になった民宿の従業員の一人は宮城県出身で、若い時は東京都内で暮らしていたが縁があって大島に住むご主人と結ばれたという。気候や人情の厚さがお気に入りの様子だった。同じように地方から来て住み着いた島民が多いのではないかと思う。この民宿は今次の被災地からは離れているので多分無事であったはずである。
 きょうの新聞によると、3.11の東日本大震災宮城県名取市の実家が流され伊豆大島へ移住した夫妻が、今度は山津波に巻き込まれ、奥さんは遺体となって発見されたが、ご主人は未だに不明のままであるという。夫妻は東京で生活していたが、実家へ帰ることをあきらめて伊豆大島出身の奥さんの実家へ。これは残念ながら同島との縁が悔やまれる結果になった例である。安住の地を求めて移住を英断したはずなのに・・・。
 きょうも1900人体制で行方不明者の捜索をする傍ら、小・中学校が再開して、子どもたちが被災の恐怖を堪えながら登校したという。しかし、火山や地震、大雨による災害の不安は消えたわけではないので、「火山の町」の課題は待ったなしの状況だ。
 昨年、楽しい思い出を作ってくれた伊豆大島。それだけにこの度の災害にたいへん心を痛めている。先ずは、島民の生命と生活を守るためにこれまでの様々な教訓を絶対に無にしなよう願うのみである。