飯坂温泉へ

 18日、中学校時代の同級生7人が7月に開催した同級会の総括と今後の予定を話し合うために、飯坂温泉に集まった。みんな元気だったが、話題は「この先何年生きられるか」とか「終活」の在り方が大半。「だから、小まめに同級会を開いて元気を分け合っていこう」ということに。喜寿の祝いを兼ねた同級会を数え歳の平成27年6月に開くことも決めた。
 それはさておいて、晩秋の飯坂温泉の今をスケッチしてみたい。私は、大宮から東北新幹線で福島へ、70分。そこから、福島交通飯坂線に乗り換えて終点飯坂温泉駅へ、20分。他の仲間は、一関と仙台からそれぞれ車で東北道飯坂インターから、旅館へ。

    飯坂温泉駅                 摺上川の十綱橋

 飯坂温泉は早くから福島市飯坂町の貴重な財源になていた。タクシーの運転手さんの話では、昔は摺上川に架かる十綱橋の周辺には大小のホテルや旅館があって、温泉街は車と人で賑わい、通り抜けるのがたいへんだった。今は、旅館はおおかたなくなり、パチンコ店やスーパーなどになっている、という。調べてみると、ピーク時の1973年(昭和48年)は177万人の温泉客があり、それが2009年には81万人に激減している。今宵の宿泊客は5〜6組ほどだった。
 地元の人の話では、この辺りの紅葉は先週くらいで終わっている、そうだ。ロビーから眺めるとサクラは落葉し始め、辛うじてイロハモミジも最後の輝きを残していた。柿の実も晩秋を象徴していてなつかしい光景である。


   医王寺近くの民家の柿の木           飯山線から
 飯坂町の人口は6,434人(平成12年)で小さな町である。翌日、旅館の人に「どこか見学して帰りたいのですが・・・」と尋ねると、「片岡鶴太郎美術館」と「医王寺」を紹介された。旅館から車で10分ほど走ると、「片岡鶴太郎美術庭園」があった。庭園と作品が展示されていて、初めてじっくりと鑑賞。サカナをモチーフにした作品が多い。なかなかの出来映えで、思いもよらぬ「出会い」に心なごむひとときであった。入場料950円。飯坂には、松尾芭蕉正岡子規与謝野晶子らも訪れており、各地にその句碑が建立されていることからも、鶴太郎さんがこの地を選んだのも分かる。
 医王寺は、元々は薬師寺であるが、義経の従臣として仕え、盾になって討ち死にした佐藤継信公・忠信公の墓があり、悲劇の武将兄弟の目覚ましい活躍を称えている。

 束の間の小旅行であったが、同級生に会えて昔に返れたことが何よりで、ついでに東北の晩秋をながめて、自然の営みのすばらしさを再確認した二日間だった。