歩行者優先社会に!

 街の中を歩いていると車が怖く感じる。狭い道路なのにスピードを出して通る車が多い。信号のない道路を渡ろうとすると車が途切れるまで渡れない。止まってくれないからだ。横断歩道を渡るときも車を気遣う。どこへ行っても歩行者はびくびくしながら歩かねばならない。日本人は歩行者より車優先という観念が強い。
 かくいう私も車を運転している。歩行者に恐怖を与えていないか、というと心当たりはある。でも、自慢できるほどのドライバーではないが、歩行者優先という考えには抵抗はない。横断歩道に歩行者がいて止まれるところでは止まるようにしている。車優先という観念から脱却したいという強い思いがる。
 決して外国を一方的に礼賛するつもりはないが、交通量の多い通りは別として、街頭では歩行者が信号のない横断歩道に一人でもいると車は止まる。私自身、欧米で何度もそのようにしてもらっているので、決して珍しいことではない。欧米も車社会であるが、車と人間のコラボレーションをよく弁えている。日本はどうか。歩行者優先や事故防止などソフトウエアの教育は置き去りにして、ひたすら車を走らせることだけに夢中になっている単なる車社会。残念ながら欧米とは国民性、つまり、文化・文明の違いを認めざるを得ない。
 交通事故による死者は1970年(昭和45年)に16、765人という最悪記録を残している。ちなみに、昨年度は4,411人で、その当時のおよそ4分の1に減少している。車の台数は今は当時の300倍の7,600万台であることからも事故防止の努力は認めるものの、日本では未だに4,000人もの尊い命が奪われている要因は「車優先社会」即ち、「車社会化」から抜け出せないからだと思う。
 今年も師走の月を迎えて、世の中がせわしなくなった。車の往来が激しくなってきた。それでも、車は自分自身の移動や物を移送する手段だけではなく、車という文明機器を操作する有り難さや楽しみを味わう心の余裕が欲しい。そうすれば、自ずと歩行者(人間)優先という観念が芽生えてくだろうと思う。それは東京オリンピックで試される。


「12月」の異称  極月 臘月 弟月 窮月 氷月 汎月 臨月 梅月 余月 令月 春待月 厳冬 暮歳 師走