忘年会

 今年もあとわずか、思えばアッという間の1年であった。12月は、日本中が忘年会だ。「もういくつも入っている」と回数の多さを嘆く声も聞こえてくる。私はほんのわずか。
 6日、札幌のすすき野でスキー仲間と。そのすすき野はすっかり忘年会ムードに包まれていて、予約なしではどこも入れないほどの賑わい。地元の市民と我々のような観光客で月末まで賑わいは続くという。ホテルの紹介でいい店を確保できた次第。この時期、スキーヤーにとってはスキーシーズンの始まりなので、忘年会というより仲間との友好を深め、3月まで「頑張ろう」と誓い合う機会となった。
 
  積雪が全くない札幌すすき野。スキー場もリフトやゴンドラは一部だけの運転だった。
 9日、町会理事役員と。元旦祭、節分祭、みやなぎ(神社の清掃)、夏祭り、運動会、文化祭などの行事を推進するにあたり協力し合った理事仲間。行事の度に、理事会を開き、準備をして本番に備えるのが役員の務め。真夏や厳寒、早朝であったり、重労働も。それ故に、よほど協力し合わないと円滑にいかない。幸い、その点は伝統的にうまく行っているので有り難い。忘年会も笑いが絶えず、いい雰囲気で終える。
 きょうは「ゆかいな仲間の会」と。もとは5人で始まった会だが、今は十数人に。職業(職歴)や年齢などがまちまちで、学ぶことが多い仲間である。異業種の集まりがコンセプト。みんなが集まるのは春先、新米が穫れる初秋、そして、忘年会の3回。会としての行事などはないが、個々には娘の結婚、孫の誕生、会社の業績が上向いたり、健康を害したり・・・。何かがあると、声をかけ励まし合っているところであるが、きょうは何が話題になり、来年に向ってどんな抱負を聞けるか楽しみである。
 22日、ふるさと会の役員と。この会は、創設平成元年なので25周年になる。その頃はまだバブル最盛期で経済的にも余裕があり、生まれ故郷へ何か貢献しようという機運が高まっていて、首都圏では「ふるさと会」がたくさん創設された。会員が年に何回か会ってふるさとを語り合うことで望郷の念を満たし、さらに寄付をしている会もある。
 しかし、3.11の東日本大震災により、我がふるさとは大きな被災はしていないが、津波により多くの人命とともに家も街も自然も流失し、ふるさとの原形が消えてしまった市町村があることから、各ふるさと会の間に連帯感が生まれた。望郷だけのふるさとにしてはいけないという思いが芽生えたのである。ふるさとの発展と新たな歴史の創造に積極的に関わっていこう、と。会の運営や内容などについて、私も責任を担っている一人なので反省を込めて参加したい。ここでも、どんな忘年会になるか。

 忘年会にはいろんな意味合いがあり、それなりの効果もあるようだが、年末においしい料理を食べてわいわいと騒ぐ振る舞いはいかにも日本的である。ところが、台湾や中国、韓国でも我が国の忘年会に似たような風習があるという。欧米では、クリスマスなども同じ意味合いがあるのではないかと思う。