3.11大震災、あす3年に

 明日、3.11の大震災3年目を迎える。震災が風化されつつあることを憂う声も聞かれて、被災地との温度差が大きくなっていないか、気がかりである。先ほど、陸前高田市に住む高校同期のKさんと電話で話した。以下、Kさんのお話である。
 国は復興が進んでいると言っているけど、被災地にいるとそいう実感はない。校舎が被災し、統合した中学校はギュウギュウ詰めで、生徒たちは不自由な学校生活を送っている。やっと、新校舎は、高台に28年度に完成することが決まった。被災して5年後ということになる。どうしてこんなに時間がかかるのか不思議でならないね。子どもたちの教育を最優先すべきなのに・・・・。
 多くの被災者の悩みは「住宅問題」。人間にとって安住の場は「我が家」なのにそれがいつ、どこに建てるのか決まっていない人がほとんど。旧市街地を希望しても、嵩上げに5年以上もかかり、それからすぐ建築しても6〜7年後になる。被災して9〜10年後にもなり、しかも、全て建築資金は自前であるから、がまんにも限界が生じないか心配だ。
 次に心配なことは、「高齢化問題」。高齢者は、復興に時間がかかりすぎて、実がないという虚しさに苛まれている。仮設住宅で、家族を失った心の空白を埋め合わせることもできず、高齢が進むことに焦りを感じている。勿論、経済的にも不安を抱いているはずである。
 このところ、外出してみると、道路は轟音を立ててダンプカーが鈴なりになって走っている。切り倒した高台の樹木や削りとった土を運んでいるようだ。県外ナンバーの車が多い。これが復興の足音なのか、目に見える形になるのがいつなのか、分からない。
 また、家を建てるには大工さんが必要だ。なるべく地元や県内の大工さんに頼もうとしているようだが、完全に人手不足。東京オリンピックに大工さんが持っていかれるのではないかと危惧している。  
 Kさんは辛うじて被災を免れたものの、電気、水道を絶たれ避難生活を余儀なくされた。また、瓦礫の山になったかつての住宅街や数えきれないほどの遺体を目のあたりにして、一時期精神的に異状をきたした。それまで元気だったご主人は大勢の教え子や親戚の人が亡くなり、その衝撃は計り知れなかった。次第に歩行困難になるほど衰弱し一昨年の10月に逝去された。震災関連死のお一人である。Kさんはまさに途方に暮れて生きる力を失ったという。
 被災者の多くは、両親、子どもたちなど家族を亡くし、厳しい現実に向き合い、悲しみ、苦しみに堪えながら生きている。この現実を決して風化させてはならないし、復興を加速させないと、特に高齢者は楽しい余生を送る時間が持てなくなりはしないか。心配ばかりの3.11 3年目である。
 記憶があいまいになってきているので、被災状況を数字で残しておきたい。
{死者}岩手4673人 宮城9537人 福島1607人 全国1万5884人{行方不明者}岩手1142人 宮城1280人 福島207人 全国2633人 {震災関連死}岩手434人 宮城879人 福島1660人  {避難者数}岩手3万4847人宮城8万9882人 福島8万5589人 全国26万7419人(1年前との比較ー4万7777人)*福島県原発事故による避難者が多い。 
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流出した住宅跡に花が手向けられていた(気仙沼市)。右は、中学校の校庭の仮設住宅。700m先が海(陸前高田市)いずれも昨年9月撮影。