パラオ慰霊の天皇、皇后両陛下

 天皇、皇后両陛下は8日、9日、太平洋戦争の激戦地・パラオ共和国を訪れ、戦没者を慰霊された。日本と米国双方の慰霊碑には生存者や遺族たちが立ち会い、両陛下とともに犠牲者を悼んだ。現地には、元兵士や戦死者の妻、遺児ら約40人が日本から駆けつけた。パラオは、日本から約3,000キロ離れている。きょうの新聞、テレビ、ラジオ等が大きく取り上げている。
 1941年12月に始まった太平洋戦争では、パラオ本島南方のペリリュー島は大規模な飛行場が整備され、本土への最終防衛線の重要拠点であった。1944年9月、上陸作戦を始めた米軍に対し、旧日本軍は洞窟陣地に立て込むるなどして抵抗した。
 しかし、10月には、アンガウル島で、11月にはペリリュー島でも日本軍はほぼ全滅し、それぞれの戦死者は日本側が1150人、10,022人、米側が260人、1684人に上った。パラオでの戦闘は、その後の硫黄島、沖縄へと続いた。
 両陛下は、パラオ本島からヘリコプターでもっとも激戦地となったペリリュー島を訪れ、西太平洋戦没者の碑に供花された。さらに南方に見えるアンガウル島に向かって深々と拝礼された。両陛下は現地で、遺族や戦友たちと会い、温かく声をかけられ、遺族たちは遠方より慰霊に訪れた両陛下に感謝のことばを述べている。
 「本日はありがとうございました。戦友に代わって御礼を申し上げます」(88歳・男)「これまでペリリュー島はあまり知られていなかった。両陛下の訪問で世の中に知れたというのが一番うれしい。でも、勝っても負けてもだめ、というのが戦争じゃないでしょうか」(95歳・男)
 「長い間にわたり我々遺族以上に、散華された方々のことを思って思ってくださっていたのがわかった。悲劇とともに、どうしてこういう戦争をしなければいけなかったのか、その根本の問題を学ぶべきだと思います」(78歳 戦車隊で兄を失った妹)「私がこの場に来られたということで、孫たちもより熱心に耳を傾けてくれると思います」(74歳・男 父がペリリュー島のさらに南の小島で餓死。命日が4月11日)
 両陛下は2005年、日米双方と地元民に59,000人以上の犠牲者を出したサイパンも訪れ、慰問されている。戦争の犠牲への慰霊と平和の祈りは天皇陛下の平和への強い意志によるものであろうと思う。戦後70年にあたる今年の年頭所感の中でも「満州事変に始まるこの戦争の歴史を充分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」訴えられた。
 象徴天皇故に「平和を祈る」という行為が精一杯の天皇陛下としては、戦地を訪れることことだけでもまさに精一杯ではなかったかと思う。戦争を知らない世代が増えていることや、戦争が風化されることを危惧されているようにも思う。しかし、それは我々国民が戦争の惨禍を語り継ぐ中で、平和の意義、ありがたさをそれ以上に語っていかねばならいと思う。