ライナー・キュッヒルさん

 キュッヒルさんはウイーン・フィルハーモニー管弦楽団のバイオリニストで、なおかつコンサートマスターである。今年64歳、入団44年になる。1973年来、来日し長野オリンピックはじめ数々の大きな演奏会に出演する傍ら、1985年、ウイーン・ヒルの主席演奏者9人による「ウイーン・リング・アンサンブル」を結成し、日本各地で本場ワルツの演奏会を開催している。1975年、真知子夫人と国際結婚、2011年、日本との音楽交流が高く評価され、旭日中綬章を受章された。
 この度、朝日新聞の「わたしの半生」欄に10回にわたり、キュッヒルさんの半生が綴られている。それによると、生まれ育ったのは、ウイーンから150キロ離れた小さな街で、当時人口は6500人。キュッヒル少年はしょっちゅう近くの森へ行き、アリ塚を観察したり、小鳥のさえずりや小鳥の鳴き声を聴いていると「森が歌っている」と感じるような体験をしている。
 10歳の頃に、音楽に興味を抱き、父にせがんでバイオリンを買ってもらい、そこから音楽人生が始まった。それでもバイオリンの練習の合間には自然のなかでよく遊んでいた。20歳、ウイーン国立音楽アカデミーを卒業し、すでにオーディションに合格していたウイーン・ヒルに入団し、現在に至る。
 バイオリンを学ぶ子どもたちに伝えたいことは? の問に次のように応えている。
 「以前、日本で公開レッスンをしたとき、若い学生がブラームスソナタの1番を弾きました。でも、ただ音符を弾いているだけ。音楽になっていないのです。ブラームスは、この曲をオーストリア南部のケルンテン州にあるベルター湖畔で作曲しています。朝もやがかかったり、太陽の光が差し込んだりする風景のなかで生まれた曲だと一生懸命に説明するのですが、なかなか伝わらない。そういう場所や光景を知らなければイメージできませんし、そういう人にわかってもらうのは難しいですね」
 「バイオリニストに限らず、優れた音楽家として必要なのは、人としてどうであるかということです。一人の人間のなかから、音楽性の部分だけを切り離すことはできません。人として、その人が人生とどう向き合うか。もちろん音楽家にはいろんな要素が欠かせんませんが、大切なのは自然の感覚を持っていること。自然と触れ合い、感じ、見聞するなかで、いろんな感覚を養ってほしい。その経験は必ず生きます」
 音楽を学んでいる人にとっては貴重な人生訓になると思う。音楽に限らず、他の学問や技術を習得する人にも通じる哲学である。ウイーン・ヒルやウイーン・リング・アンサンブルはヨハン・シュトラウスの曲をたくさん演奏するが、そのほとんどの主題は「自然」である。
 ウイーン・リング・アンサンブルは自宅から近い田園ホール・エローラ(埼玉・松伏町)で20回以上来演し、地域に根ざしている。メンバーもすっかりお馴染みで「キュッヒルさん、キュッヒルさん」と親しく呼ばれている。来年1月も演奏会が予定されているが、「キュッヒルさんの半生」を読んで、新たな思いで演奏を聴けるのが楽しみである。