6月、お会いした先輩たち

 今月もたくさんの各界の人に会えて元気をいただいた。特に、先輩たちのたくましい「生きざま」に敬意を表しつつ、さらなる長寿を願うのみである。お二人を紹介したい。
 およそ40年前、米国の英語研修講座に全国の中・高校から37人の仲間たちが参加した。その中で、今年81歳のK 先輩には親しくお付き合いしていただいてきたが、先般、同行した仲間とお会いしたら、「実は、数年前肝臓ガンの手術をしてその後何もなかったが、昨年秋、右大腿部にガンが転移して歩行が思うようにできない。医師に、『余命半年』と言われたよ。放射治療が月1から月2になった」と、淡々と話す。
 K先輩は、それにも関わらず、4時に起床して、「天声人語」や「折々のことば」を初め新聞をひと通り読んで、6時、味噌汁を作り、8時、奥さんと朝食。家庭菜園もあって、キュウリ、トマト、ナスなどの水やりも日課にしている。「無常にも一日が早く過ぎ去るね」。大好きだったスキーとダンスができないことを悔やみながらも、その分、車で近県の温泉へ出かけたり、旧友に会ったり、同窓会にも必ず出るようにしている、という。医師のことばにもめげず「大丈夫だ」と意志は堅い。皆に激励されると「俺は絶対に復活するから!」とガンを笑い飛ばすように声を挙げた。皆んな拍手を送った。本当に治って欲しい。(1日東京にて)

 我が国で唯一アルペンスキーオリンピック銀メダルの猪谷千春さんとスキー関係の会議でご一緒した。再会するといつもにこやかに握手を交わし、声を掛けてくださる。我が国で冬季オリンピックで3位まで入賞したのは猪谷さんただお一人である。それも1956年、59年前のことである。
 しかし、猪谷さんはその功績についてはおくびにも出さず、只ひたすらスキーの普及を願う。私ども指導者には「スキーを教える時は決して難しいことは言わないこと。上手に滑ってみせるだけでいい」と。「そうすれば、またスキーをやってみよう、という気持ちになる」と説く。ご本人はお元気で、スキーもゴルフも楽しまれているが「来年、85歳になるのでスキー関係の役職はすべてお断りする」と公言。国際的にも広い人脈を有する方だけにそうあって欲しくない、と思うのは私だけではないはず。とにかく誠実でご立派な方である。つい「猪谷さん」と呼びたくなるお人柄である。(16日、東京にて)
 猪谷さんについては、当ブログ2014.11.17号でも紹介済みである。