教育=教えて、育てる

 近年、中・高校生の自殺や事故、事件に遭遇する事案が多くなっている。中でも「いじめを苦にして自殺」という痛ましい事例が後を絶たない。
 子どもたちにとって一番楽しく、安心、安全な学校で自殺に追い詰められた本人はもとより、親や家族とっても悔やみ切れない悲しみにに打ちひしがれていると思う。在学中のことであれば、教育委員会や学校の責任が問われる。加害者がいれば加害者本人と親の責任が問われる。国の教育のあり方だって問われ兼ねない大きな問題である。責任は問われても失った生命は還ってこない。せめて、過去の同じような多くの事例を活かして、国をあげて二度と起こさない万全の対策が必要であると思う。
 最近では、2人の中学生が45歳の見知らぬ男に殺害されるという悲痛な事件が起きた。何一つ関わりのない中学生を短時間で殺害するというこの容疑者は学校、家庭、地域等でどんな子ども時代を送ったのか、検証してもらいたい。単なる、一事件として終わらせないでほしい。その中で、我が国の国をあげての教育の問題点が見えてくのではないか。少なくと、学力偏重はなかったか。真の心の教育はしっかりとされていたか、国民の関心は深い。
 教育とは、文字通り「教えて、育てる」ことである。となると、学校だけではできないし、家庭だけでもできない。地域だけでもできない。しかし、国を含めそれぞれの立場で「やるべきこと」はあるので、極端に偏ることなく連携しながら取り組んでいくことはできるはずだ。
 時代的に、また、全国的に国民思考として「教える」ことに夢中になって、「育てる」ことが希薄になっていなかったか。「育てる」ことの方が、莫大な時間と忍耐と愛情を要する。この容疑者の検証は一事例ではあっても大きな広がりとなって以後の教育に貴重な影響を及ぼすはずである。学校教育の立場で私自身、元教師としても反省し、この体験を後世に活かせないことを忸怩たる思いでいる。
 あまりにも痛ましく、しかも短い生涯となった子どもたちの死を無にしてはならない。全く不本意な形で生命を絶たれていることからも、これは国をあげて取り組むべき重大で、永遠の課題であるとの認識で対策を講じない限り、不安は拭えない。少なくとも、どの子にとっても学校は楽しく、安全なところであると信じてもらえるようにしないと・・・。