訃報

 夫 T男が9月19日に87歳で永眠いたしました 寂しいことですが 天寿を全うし安らかな旅立ちでした 生前に賜りましたご厚情を深謝いたしますとともに みなさまには良い年が訪れますようお祈りいたします
 T先輩は、私が現役30歳代に公私にわたりお世話になった恩人。お互いに退職してからも毎年のように他の仲間と会食をしていたが、ここ数年途絶えていて先輩はじめ仲間達の消息を案じていた矢先の訃報であった。先輩はお寺の長男で僧侶の資格を所持していたが、お寺は弟に譲り中学校の教師になった。教師の資質は専門性と人間性から成り立っているが、特に、寛大で慈悲深いお人柄は人間性を十分に満たしていた。それは、私にとって最も必要とする資質であったので、大いに学ばせてもらった。
 お酒が好きだった。日本酒を静かに嗜む雰囲気を大切にしていた。下戸の私をよく飲みに誘ってくれた。どちらかというと寡黙な方で、飲んでも同じであったが、「お前さんはどうして先生になったんだい」「お前さんの教育理念は何かね」。チクリと一言問い、笑っていた。「学校が荒れていた」昭和40年代の頃で、教師の専門性である指導法を研究しても、教材研究を深めても一向に改善の兆しが見えなかった。先輩は「教師の専門性よりも人間性が問われている」と言いたかったことに、当時私は気づかなかった。
 実は、先輩が9月に亡くなったことを私も仲間たちも知らずにいた。奥さんからの「訃報」で知り、驚嘆した。しかし、「天寿を全うし、安らかな旅立ちでした」の一文に心を撫で下ろしている。先輩がそう綴らせたのかも知れない、と。とは言え、再会の時間を開けすぎたことは後悔している。私も少しは飲めるようになったので、一人前に一献献上と行きたかった。いずれ、仲間と墓参する機会を設け、長年のご交誼に感謝申し上げ、ご無沙汰をお詫びしたい。どうぞ、やすらかに。合掌。
 師走を迎え、連日訃報を頂くたびに、享年に関係なく、どなたにもそれぞれの人生を終え、家族、兄弟、子ども、友人たちとの惜別があり、心が痛む。いつの日か、それは自分にもやってくると真面目に思うようになった。