あす、5回目の3.11

 死者・行方不明1,927人(当時の人口の約7,9%)、全半壊等住宅3,368棟(全戸数の約45%)と壊滅的な被災を受けた岩手県陸前高田市。海岸から700m離れた高台に住んでいた高校時代のクラスメイトKさんは、すぐ前の家まで津波が押し寄せてきたが辛うじて難を逃れた。しかし、津波が引いたあと目にしたのは、無数の遺体と瓦礫の山、そして、高台から海へ通じるのどかな風景が一変していた。5年たっても、あの時の衝撃は全く忘れられないという。3.11を前に、きょう、Kさんと電話で話した。以下、Kさんの話である。
 私は高台に住んでいるけど、さらに後方の山林を切り拓いて一戸建ての集合住宅が建築中で、5、6月頃には完成しそうです。山林の地主が県か国に売却したものを個人で購入して家を建てているようです。一方、そうしたいけど、資金がないことや高齢で長く住めないことに鑑みて家賃が安い復興住宅へ入居する人もたくさんいます。
 また、かつての市街地は15mほどの嵩上げが完了すれば、ショッピングセンターや図書館はじめ一般住宅の建設が始まるわけですが、建設関係の人手不足で住宅の建築が5〜10年はかかると言われています。今70代以上の人はそこに建てるべきか、悩んでいます。このように、個々には住宅問題が喫緊の課題なんですよ。
 一関から盛(さかり)までのJR大船渡線陸前高田市地域は再建せず、駅間をバス輸送に決まりました。高校生や通院の人は不便です。私はまだ車を運転できるので自由に行動しているけど、それも80歳ごろまででしょう。高齢者にとって新たな心配ごとです。
 私は市内の中学校で教師をしていたのですが、40〜50代前後の教え子たちがたくさん亡くなりました。毎年、合同慰霊祭が行われていますが、働き盛りの人ばかりで遺族の心のケアが気がかりです。私もいとこが未だに行方不明です。市全体で205人もいます。葬儀はしてあるものの、せめて遺体が見つかれば少しは救われるのですが絶望的です。物は再生できるけど、人間の心のケアはそう簡単ではありません。5年の歳月は被災者にとっては何ヶ月分にも当たりません。
 私は幸い直接被災を免れたので、その分、困っている人たちのために仲間たちといろいろなボランティアをしています。訪ねるたびに喜んでもらえるので、まだまだ続けたいと思っています。そのためにも、私自身、元気でいなければならないので、健康維持に努めています。「一、十、百、千、万の生活」をモットウに。つまり、一日一回笑う、一日十人と話す、一日百字書く、一日千文字読む、一日一万歩歩く、というもの。とてもすべてはできないけど、できることをしています。お互いに、元気でいるようにしましょうね。
 
 復興の足音は以前よりは大きくなりつつあるものの、現実はKさんの話から察するにまさに「道半ば」である。被災地の過疎化、高齢化、格差は他に比べると10年以上は一気に進んでいる感じがする。3県のみ適応の新たな対応策が必要だ。福島県原発事故がらみでさらに困難な状況にある。2016年2月8日現在、警察庁発表の被災3県の人的被害状況は次の通り。
 死者・行方不明 15,827人・2,558人(内訳)岩手県4,673・1,124 宮城県9,541・1,237 福島県1,613・197