続 護憲、70年の尊さ

 昨日(5月12日)の朝日新聞朝刊に、「英文で読む日本国憲法」という記事があった。日本国憲法には、日本語の「正文」のほかに「英文版」がある。海外では英文版が読まれている。翻訳家で東大特任教授の柴田元幸さんにその英文版を読んでもらった。柴田さんは英語版憲法を現代語訳として出版している。柴田さんによると、英文版憲法は、「いい感じの英文」だという。以下、柴田さんの英文版を読んで見えてきたという憲法のメッセージを紹介すると・・・
 英文版の前文は、We,Japanese people、で書き出しているが、日本国憲法の主語は「私たち日本の人びと」すなわち「私たち」であることが憲法全体に貫かれている。9条の「戦争永久放棄」は, forever renounce だが、forever は、心情的に、絶対に、という気持ちを感じさせる言葉だ。
 憲法とは、「私たちはこういう人々です、日本とはこういう国です」と見せる、アピールする世界に向けた宣言であると思う。ひどい戦争があった、二度とお起こしてはならないという文脈で書かれていることは間違いはない。二度と戦争を起こさないと決意したのは「私たち」であることが英文からもはっきりしている。12条では、憲法が保障する自由と権利を「人びとの不断の努力によって守るんだ」と、人びとはこうしなければという精神を述べている。
 もし、僕が日本国憲法について何も知らないでこの英文を読んだら「アイデアリスティック」(理想的)という感想を抱く。この言葉は二面性があって、「そんなの理想的だ」と否定的に使われることもあるし、積極的、肯定的に使われることもある。私は個人的には後者を強調したい。この憲法を読んでそう思う人は、海外でも多いでしょう。

 柴田さんは全体像として「主語は私たち、絶対に戦争をしない、など気合の入った表現が多い。政府に権限を与えるのは国民であり、国会議員にせよ内閣にせよ、我々の代表者である、そういう意識が英文から感じられる」という。
 しかし、現実には、国会議員や政府官僚のなかにはこのことがわからず、常に人びと(国民)の上に立とうとしている人がいる。正文だけでなく英文も読めば、憲法全体に「人びと」が隠れた主語として存在していることに気づくだろうと思う。