読書アラカルト(21)「阪急電車」 有川浩著 幻冬舎文庫 

 平成22年8月初版、27年11月44版発行、映画化もされているベストセラー。書店で「売れている本」ということで購入する。確かに読み出したら止まらないほどおもしろく、小説制作にあたって、著者の着想や観察力、心の機微の捉え方などすべてが鋭く素晴らしい。私は、阪急電車に乗ったことも見たこともないが、駅や沿線の景色が手に取るように描き出されている。ちなみに、阪急電車今津線は駅の数が8つで片道15分。往復30分程度であるが各駅の乗降客はその数だけの人生を演出している。
 カツヤとミサは同棲してる。この日二人は西宮北口駅(西北)の不動産屋で住宅の物件を探しに行こうとしている。ひょんなことから、カツヤに常識がないといさめられたミサはカツヤにやり返す。「この間カツヤは先輩の結婚式に出たけど、出欠のハガキとかちゃんと書けたん?」「当たり前やろ。あんなもん書いて出すだけやろ」「じゃあ表書きの◯◯行ってどう直した?」その時カツヤの顔色が変わった。そのまま出したのである。ミサは「行は消して様って書き直すのが礼儀なんですぅー」ついでに「御芳名や御住所は、御芳を消して名だけに、御住所は御を消して住所だけに直して書くんやで」
 カツヤは完全に切れて電車のドアを強烈に蹴った。周りの乗客はカツヤに注目する。電車が西北より3つも手前の仁川駅に着くとさっさと降りて行った。住宅物件はお預けに。ミサは仕返しが過ぎたことを反省したが、カツヤは気に入らないとすぐ暴力を振るったり、物を壊すなど人間が変貌する。ミサはそれでも普段は優しく、何と言ってもかっこいいカツヤに惹かれて別れられないでいる。
 実際に、◯◯行をそのまま出す人や御も消さずに出す人もいる。お花見や暑気払いなどの宴席に上司が「寸志ですが・・・」と言って幹事に金一封を渡すことは昔からよくあるが、それを全体の場で披露するとき、「◯◯部長より寸志を頂戴しました」と紹介する例もよくある。新入社員なら未だしも中堅以上の幹事だとすると社会常識が疑われ兼ねない。「ご芳志」「ご祝儀」と言うべきだがこのような常識は誰がどこで教えるべきか。カツヤはそれを学ぶ機会がなかっただけのことで、「◯◯行で何が悪い!」と息巻く。ミサは暴力の恐怖心からもうカツヤと別れようと決心した。
  いつも混雑するという西北駅で5、6人のおばさんたちが乗ってきた。全員が派手なアクセサリーで身を飾り鞄もブランド物ばかり。みんなで席取りが始まった。するとその中の一人が座りかけようとする女性の席に「えいっ!」ばかりにハンドバックを放った。そして、まだ席のない仲間を連れてきて座らせたのである。「いいのよぉ、これくらい」と、バックを放った本人。近くの乗客たちがブーイング。「素敵なブランドが台無しね」「信じられへん。おばさんてサイテイー」
 このおばさんたちは宝塚の高級レストランで昼食をするという。大声で世間話やゲラゲラ笑ったりで車内を騒々しくしている。祖母に連れられた子どもが「電車の中は静かにしなさいって先生に言われたけど大人はいいの?」と祖母に言うと、おばさんたちにも聞こえた。おばさんたちは「生意気な子どもだ。どんな教育されているんだ!」と睨み返すが、他の乗客はみんな子どもを擁護する雰囲気に。おばさんたちは、さらに他の乗客とトラブルを起こし、いたたまれなくなり宝塚手前の駅で全員降りて行った。「この人たちのせいで気分じゃなくなったわ」
 さらに若いカップルのほのぼのした話や見知らぬ同士の会話など、まさに、人生の縮図を垣間見るような話題がたくさん登場する。大衆的な電車の中なので、私自身いくつも疑似体験している感じで、ハッとさせられた。しかし、笑いが何回もこみ上げてくるし、止めが痛快で読後感がいい。著者名、有川 浩(ありかわ ひろ) 定価533円+税

阪急電車 (幻冬舎文庫)

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