沼田城

 先週、たまたま沼田城址を訪れる機会があり、小一時間ほど見学してきた。今、人気のNHK大河ドラマ真田丸」に沼田城が登場しているので、城址のある沼田公園や周辺が観光スポットになっている。沼田城は、91年にわたり真田家により治められており、初代城主(藩主、1590年)は真田家昌幸の長男、信之(信幸)で、ドラマでも主役的存在である。JR沼田駅近くにある正覚寺には信之の正室・稲(小松姫)のお墓があり、お墓参りに訪れる人も多いという。

 沼田城は真田家5代により統治されていたが、天和元年(1681年)5代目藩主信利の失政で幕府に没収され改易となり、城はすべて破却されて堀も埋められた。今は、石垣の一部や樹齢400年の御殿桜が残っている。右は城鐘が吊るされていたとい鐘楼を復元したもので、城鐘も複製。寛永11年(1634年)信之と小松姫の息子信吉は領内の安泰を祈願して「城鐘」を鋳造し、沼田城三の丸の楼に掛けて時報に用いていた。城鐘はその後保護され続け、沼田町、沼田市時代に時鐘として親しまれた。現在は上州沼田真田丸展に展示されている、という。

 沼田公園先端から谷川岳方面を臨む。眼下には名胡桃城趾もある。この地域は、高低差が大きい河岸段丘が発達していて、沼田城は天分元年(1532年)頃に段丘崖先端に築城された丘城。谷川岳、三峰山、穂高山など四方山に囲まれた盆地。城として最高の位置を確保していることがわかる。沼田城真田昌幸により攻略されたものの、藩主が二転三転、最後は秀吉の命で昌幸が藩主になった。公園にはたくさんの古木が林立している。中でも桜が多く、樹齢400年を思わせるものばかり。

 大河ドラマは1600年の関ヶ原の戦いに差し掛かっている。予告によると、9月18日(日)は「信之」と題して、親子、きょうだいが分かれて戦い、西軍・石田三成について破れる昌幸(草刈正雄)・信繁(堺雅人)親子に対して東軍勝者・家康はどんな処罰を与えるか。そして、家康についた信之(大泉洋)の心の内はいかに。