健康で文化的な生活とは

 穏やかな秋日和に誘われて近くのスーパーマーケットへ買い物に出かけた。人出はいつもと変わりはないが、野菜の高騰が相変わらず続いていた。特に高いのは、レタス(税別185円)、白菜1/4(158円)、キュウリ(1本64円)、ネギ(1本91円)など。さらにホウレン草や小松菜はいつもの1/2の量で108円もするので、我が家ではこのところ買い控えている。
 野菜の高騰は消費者に物価全体が高騰しているような心理的影響を与えているようだが、野菜だけは毎日食する習慣があり、物価には敏感にならざるをえない。知恵を働かせて、野菜の冷凍食品を覗いたら生鮮野菜と変わらない値段になっていた。いつもはもっと安かったはずなのに?!
 野菜に関しては、一部地域の生産農家が地震や大雨、天候不良に見舞われ生産が追いつかないことや中国等からの輸入野菜に押されていることが物価に影響しているように思う。天変地異は避けては通れないので、いざという時には国が介入して物価の安定を図る制度が必要だ。日頃より生産農家は勤勉に働いて良質な農産物を国民に供給してしているのだから、そうでもしてあげないと安心して農業に従事できなくなる。税金はこういうところに手厚く使ってほしい。
 きょうは文化の日。そして、日本国憲法公布70年にあたる。メディアはこぞってその特集を組んでいる。憲法25条は「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と謳っている。国家には国民の生活保障の義務があり、一定の基準に満たない人は誰でも生活保護を利用できるようになってる(生活保護法)。
 しかし、子どもの貧困、非正規雇用の増加、格差の拡大、原発事故による避難生活などの現実があり、憲法25条がめざす地点にたどり着けない国民がたくさんいる。憲法に謳われているからではなく、すべての人が人間らしく生きられる社会にしていくことが国家として最優先の支援事業であるべきだと思う。海外支援も必要だが、国民の実情をもっと弁えて1/3位は削減して、自国民の支援にまわしてもらいたいものだ。
 きょうのスーパーマーケットの光景に関しては、いつものように皆さんが穏やかに、整然と買い物をしていた。果たして皆さんが「買い物を楽しむ」という心のゆとりがあったかどうかは計り知れなかったものの、より健康で文化的な生活を希求していることは確かであろうと思う。それは、決してカネやモノだけに求めているのではなく、情緒や気持ちの安定といった心身の健康を願っていることは当然である。戦後、安定した国民生活を営んできたのはそうした勤勉で賢明な国民であることを誇りに思いたい。


  特価品はあっという間に売りきれる。100円の割引きクーポン券を求めて並ぶ・・・