後藤純男画伯逝去

 日本を代表する日本画家・後藤純男画伯がこよなく愛した北の大地北海道で10月18日逝去された。享年86。この春、2016年3月23日、第72回日本芸術院賞・恩賜賞を受賞された時、「60年以上もお世話になった皆さんへの恩返しになったのではないかと思います」」という談話を発表された。後藤画伯がご自分のお人柄を生涯貫いたことに熱い感銘を受けた。
 画伯は、寺の長男に生まれながら、住職である父親に請い願い画家への進路を選択することになった。寺を継がなかったことへの自戒の念が談話に込められていたのである。その代わりに、画伯は奈良の古寺を描いた作品を数多く発表し、荘厳なる仏教の奥深い美を探求し続けた。前出の受賞作は、第97回日本美術院展覧会院展)に出品した「大和の雪」(2012年作)であるが、真っ白な雪にたっぷり覆われた大和路の古寺は画伯の集大成ともいうべき大作である。
 恐れ多くも、私は現職時代に後藤画伯のアトリエがある町(埼玉県松伏町)に勤務していた折りに、何度となく画伯にお会いする機会があり、直接たくさんのお話を伺うことができた。幼少時代は、近くの小川で魚取りや蛍狩りをしたこと、寺の白壁にスケッチを描いて父親に叱られたことなど、とにかく近所の友だちとよく遊んだ思い出を懐かしそうに、また、楽しそうに話された。一転、画家を目指し始めた20代から30代はまさに苦しく辛い修行時代で、試行錯誤の繰り返しであったと述懐された。
 大画伯でありながら私如き市民に対しても、お会いすると必ず笑顔で握手を求めてこられて気さくに応対していただいた。いつも恐縮するばかりであった。その上、画伯が卒業した地元の小学校に数点の絵を寄贈されることになった。さらに、一校だけでは不公平になるとして、町内他の小中学校にも寄贈された。地元を大切にされ、子どもたちへの愛情に満ち溢れておられた。
 1997年(平成9年)、北海道上富良野町後藤純男美術館を開館、主たるアトリエも同館に移された。ご挨拶を兼ねて訪問すると、いつものように握手で迎えていただいた。10メートルからなる大作も描けるアトリエで創作活動に専念されていた。美術館の前方には広大な草原がありその奥には十勝岳が聳えている。この光景を画伯はたいへん気に入っておられたと言う。
 葬儀は親族だけですでに終えているが、12月5日、甥御さんが継いでいる松伏町の寶蔵院で四十九日の法要が営まれ埋葬されることになっている。この日はいわゆる「お別れの式」として一般市民の弔問も受けることになっている。私も弔意と感謝の意を表すべく伺うことにしている。画伯は名誉町民でもあり「町民葬」は来年1月に予定されている。
 慎んで後藤純男画伯のご冥福を心からお祈り申し上げますとともに、故人の温かく柔らかな手のぬくもりを生涯の宝にさせていただきたい。