東日本大震災、きょう6周年

 今、災害発生時刻2時46分です。ラジオの時報に合わせ1分間黙祷を捧げました。被災者にとって、失われたものは何一つ原点に戻ってはきません。悔しさ、虚しさに苛まれるのみではないかと思います。私たちはいかに被災者と連帯感を共有し連携を深めていくかが問われています。
 先ほど、辛うじて被災を免れた岩手県陸前高田市に住む同級生K子さんに電話をし、あらためて6年間のご労苦に慰労の気持ちを伝えました。当時、彼女は海岸から700m離れた高台に住んでいたのですが、すぐ前の家まで波が押し寄せてきて、波が引くと海岸までの見慣れた風景が一変していたことに気づき動転しました。そして、夥しいがれきとともに流れ着いた死体を目の当たりにして気を失いかけたと言います。
 水道も電気も止まり、K子さんとご主人は近くの避難所へ移動し、避難所生活をすることになりました。その間、特にご主人のご兄弟や親戚、知人、教え子たちがたくさん行方不明であることがわかり、夫婦で遺体収容所を探し回りました。しかし、すぐにはわからず不安な日々を送っていました。2週間ほどで自宅へ戻れたのですが苦労の日々が続き、疲労困憊が募るばかりでした。その上、心配していた行方不明の方々がほとんど亡くなっていることが判明したのです。
 K子さんのご主人は震災後2年目に亡くなりました。K子さんは「震災の心労によって命を縮めたんです」と残念がりました。私は前年、K子さん宅を伺った時ご主人は元気でしたのに・・・。ご主人は、いわゆる震災関連死のお一人に当たり、これに該当する人は3523人もいます。
 K子さんによりますと、陸前高田市の復興状況は次の通りです。
 当初思っていたよりも大幅に遅れていて、やっと嵩上げした住宅地に大型スーパーと図書館、子どもの遊び場が完成して、ここを中心に公共施設や住宅が建つことになっています。まさに、これから新しい街づくりが始まるわけで、陽の目を見るのはいつのことかと危惧されています。人口も市外へ流出し2万人を切り、やがて15,000人まで減少しそうです。かつては150人以上もいた小学校の新入生が20人という学校もあります。
 震災前から小学校で友人と読み聞かせのボランティアをしています。また、高齢者には物語などをテープに録音し、貸し出すこともしています。子どもたちが楽しみに待っていてくれるのが嬉しくて止められずにいます。ここまでやれたのも健康に恵まれたお陰と感謝しています。主人にも老後をもっと楽しんで欲しかったと思うと震災が悔やまれてなりません。今年の首都圏の同級会には必ず出席し、皆さんに会うことを楽しみにしています。
 きょう、東日本大震災6周年(3.11)を迎えたのですが、絶対に風化させないために数字でもって震災の実態を後世に残したいと思います。(警察庁、各県等の最新データから)
発生2011年3月11日午後2時46分 震源地 三陸沖深さ24km マグニチュード9.0 最大震度7宮城県栗原市) 死亡者15、893人(岩手県4673人 宮城県9540人 福島県1613人 その他9都道県67人) 行方不明者2553人 負傷者6152人 計24、598人。住宅の全半壊40万1885戸。なお、福島第一原発事故による避難者は未だに8万人余いることも忘れてはならないと思います。