所与の世界にて思うこと

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 我が小庭にはおよそ60の鉢植えの花があります。苗はほとんど花屋さんで購入したものですが、元気に育っているものと、なかなか育ちきれないものもあります。水遣りや日当たり具合が影響しているようです。左は、淡い紫色のビオラで、その奥はやっと芽が出てきたアジサイアジサイは、古木を切除して新芽を育てているところですが、この小庭では古参クラスで毎年咲き続けています。右は、ここへ越してきて以来庭の一角でたくましく育っているツゲです。常緑なので庭木としては最適です。年に2、3回手入れをするといい形を保ちます。(このところサボりがち)

 玄関を飾ってくれているのがストック、キンセンカ、デジービオラ、パンジーなどす。いずれも耐寒性で冬を越すので花は咲き続けてくれます。手入れが悪く、鉢の中に雑草が生えています。すぐ前を通る人が覗いてくれますが恥ずかしい。それでも、少しでも心が和んでもらえたら嬉しい。右は、やはり我が小庭では古参の八つ手です。以前は玄関先にあったのですが土壌が悪く枯れそうになり、南側に移植したものです。もともと生命力のある樹木なので心強い存在になっています。
 縁があって我が小庭に長く住むことになったアジサイ、ツゲ、八つ手の他にツツジ、サツキ、クスノキ、イロハモミジなどは庭が狭いし、土壌も良くなく、手入れも悪く、お気の毒としか言いようがありません。運が悪かったと思っているかも知れませんね。にもかかわらず枯れ果てることもなく毎年新緑や花をつけて私たちを楽しませてくれるからありがたいことです。
 樹木や花などは大自然界では先祖代々の生命を引き継いで生きているものや、種子になって風や小鳥によって運ばれて生きる場所を与えられるものもありますが、自ら生きる場所や時を選択できません。。我々人間もそれぞれが所与の世界で所与の人生を送る運命にあります。
 その人間の世界では知らない世界が知る世界より何千何万倍もあります。とすると、未知の世界をできる限り切り拓くことで、たとえ、いいことやうれしいこと、もちろん辛く悲しいことがあろうとも所与の自己を誇らしく思えたら幸せなんだろうね。間もなく満開のサクラも人間も所与の世界に生まれたことでは同じです。そう思うと今年のサクラはいつもと一味違って見えるのではないかな。