今年も「原爆の日」を迎える

 台風5号は発生来十数日余、九州、四国、中国、北陸地方を迷走し、一昨日やっと熱帯低気圧になり、台風は解かれたものの各地に大きな被害をもたらしています。近年、台風は襲う地域を局地化、長期化、激甚化しています。これも異常気象の表れで、今後も同じような現象が予想されます。国をおげて新たな台風対策を講じなければならいと思います。
 8月、広島は6日、被爆から72年となる「原爆の日」を迎え、平和記念公園で平和記念式典が開かれました。式典には被爆者や遺族ら約5万人が参列し、原爆投下時刻の「8時15分」に黙祷を捧げました。そして、きょう9日は、長崎で同じく72回目の「原爆の日」を迎えました。原爆が投下された「午前11時2分」に黙祷を捧げ、犠牲者を悼みました。
 田上長崎市長は、核兵器禁止条約の成立を歓迎しつつ、核保有国や核の傘に依存する国々に安全保障政策の転換を求め、条約交渉に参加しなかった日本政府には条約への参加を強く求めました。核兵器を法的に禁じる核兵器禁止条約が国連で採択されて初めて迎えた原爆忌だったのに、国民はむなしい思いをさせられました。
 そして、15日は終戦記念日です。私は6歳になったばかりでその日の記憶は定かではありませんが、何日かして、空襲警報もなくなり防空壕へ隠れることもなく、戦争が終わったことを半信半疑ながらわかり始めました。さらに何ヶ月かすると連日のように兵隊たちが満員列車で帰還する情景を目にしました。それでも戦争が終わったことの意味も実態もよくわからないまま過ごしていたように思います。翌年4月、私は生まれ故郷の岩手で国民学校1年生になりました。
 今年は72回目の終戦記念になります。私はわずかではありますが戦争時代に生まれ、戦時中を過ごした経験がありますので、記憶を辿りながら戦争の惨禍を語り継いでいかねばならないと思います。