花はなぜうつくしいか
詩人 八木重吉は1898年(明治31年)、東京府南多摩郡(今の町田市相原町)に生まれています。1912年(大正元年)神奈川県師範学校英語科入学、1919年4月東京高等師範学校入学、英語科を専攻する傍ら、キリスト教信者になりました。晩年はキリストを謳った詩が多く「祈りの詩人」と呼ばれました。
1925年(大正14年)、千葉県東葛飾中学校(今の県立東葛飾高校)英語教師に赴任。重吉の宗教的感情が込められた第一詩集「私の瞳」出版。昭和元年、重い肺結核にかかり、翌1927年(昭和2年)10月26日、29歳の若さで他界。短い生涯でしたが3000編に及ぶ詩を遺しています。
できることなら くだものさへ殺さずに行きたい 詩集「論理は溶ける」 どこを断ち切っても うつくしくあればいいなあ 詩稿「美しき世界」
愛の家
まことに 愛にあふれた家は のきばから火をふいているようだ 詩稿「ひびいてゆう」
重吉は家族を愛し、睦まじく温かい家庭を築き上げていました。その心の美しさから生まれた詩と言えます。重吉夫婦には2人の子どもがいました。
願 丈夫で 長生きしたい そして 子供等を一人前に 育てあげたい 「ノートA」
これが人間として、親としての本能的な気持ちであったろうと痛感せずにはいられません。あまりにも短い人生をどんなにか悔やんだことか。短かった生涯のために彼の詩は大正詩壇のごく一隅を飾るに過ぎなかったのですが、彼の詩は今でも童心のような純粋さと美しさをもって読む人の心に滲み渡っています。 花 花はなぜうつくしいか ひとすじの気持ちで 咲いているからだ 「ノートA」
重吉は、花を擬人化しながら、実は自らの心が「ひとすじなのである」と詠んでいます。重吉の全てを詠んだ詩として崇めたい。
アモーレパープルのペチュニア(左)とモーン系ピンクのカラフルペチュニア 南米産