指導者の使命の重さ

 私は公立中学校の教員でした。ある日の朝会で私は「校長先生の話」として生徒たちに次のような話をしました。

 

 生徒の皆さん、おはようございます。早速ですが、お話を始めます。先週末、生徒の皆さんのトイレの修理を終えて大変きれいになりました。きょうから皆さんに使ってもらおうとしていたのですが、今朝、男子トイレのドアーが破壊されているのを生徒が発見し、職員室へ知らせてくれました。残念です。悔しいです。

 そこでお願いがあります。これは、外部の人が侵入して破壊したかもしれません。あるいは、信じたくありませんが日頃使用している生徒の皆さんの誰かが破壊したかもしれません。誰にしても許せないことですが、万万が一、皆さんの中で破壊した人がいたら申し出てください。私は決して責任を追求したり、怒ったりはしません。

 

 このことを伝えてその日の朝会は終了し、私は校長室へもどりました。10分ほどすると、なんと3年生の担任の先生と男子生徒がうなだれるようにして私に面会に来たのです。生徒は「私がやりました。すみませんでした」と話し、頭をさげました。担任も一緒に一礼し、「指導をしますのでお許し願います」と・・・。

 私は「反省してくれれば、約束通りこのことで君を叱ったり、責任を追求したりしません。正直に申し出たことは立派だよ」と生徒に伝え、別れました。その後、担任と生徒が十分に話し合ったとのことでした。

 もう20数年も前のことで、校長として、一教師として、指導、判断、寛容さはどうだったか、知ることはできませんが教師の使命の大きさ、重要性は生涯問われ続けることは否めません。遅まきながら教師の使命の偉大さを再認識し、至らぬ指導者であったことを悔いる日々です。    

f:id:gornergrat:20220110071951j:plain 市郊外の住宅地域  敢えて市街地を避けて郊外に住宅が進出。曾ては広大な田園でした。