「ALWAYS 三丁目の夕日’64」、とともに・・・

 市内の映画館で観てきた。’64は私にとっては就職が決まり、「終身雇用」がスタートした年であった。あのころは所得倍増論と相俟って大企業への「終身雇用」を志向する風潮が高くなりつつあり、作家・茶川が(長男)淳之介の東大進学に最後までこだわったシーンは時代を象徴している。いなかにいる茶川の父親も息子の作家志願を憂いていた。
 「鈴木オート」の社長は一本気だが義理堅く、筋を通す昔気質の男。このような旦那衆が商店街をまとめ、商売を繁盛させていた。たばこ屋のおばちゃん。あそこは情報が集まる。世間話がしやすいところ。酒屋や駄菓子屋さんも・・・。その頃すでに国は高度成長経済社会を目指していたが商店街や中小企業はまだその気配に気づいていない。
 鈴木社長の息子・一平は店の跡取りをしないと宣言し、エレキギターに夢中になっている。エレキは世間では悪眼視されている。従業員で美人のロクちゃんがデートするところをおばちゃんに見られ商店街の話題になり、社長は怒る。そのころ私も東京にいたので全く同じ情景をたくさん見聞している。そういう描写は実にきめ細かで、その時代を彷彿させてくれる。
 信頼の厚い街の医者がみんなの前で「幸せってなんだろう」と問いかける。「それはお金持ちになることでも出世することでもない」と自問自答。みんなうなずきながらも「そうかなぁ・・・」という顔をしている。経済的に苦しい茶川家では赤ちゃんが生まれた。妻は「私、幸せよ」と夫に寄り添う。鈴木社長夫婦も、お金はないけど「私たち、幸せよね」と頑固な夫に言うと、夫も天井を見ながら認める。お金持ちは誰もが望むところ。でも、それ以上にあったかな人間関係のある今を大事に生きていきたいという保守的な思考が働いていたのかも知れない。
 池田内閣が、’61から始めた国民所得倍増計画はなんと7年で達成した。東京オリンピックの成功に勢いづいてそれ以降日本経済は発展し続けるのである。’66年6月にはあのビートルズが来日し、日本武道館で公演。1万人の入場者に3千人の警察官がつく警戒態勢。日本はまだエレキや長髪を受け入れる土壌がなかったので、来日公演に反対や批判が多かった。2日間ですぐ離日。私はテレビを買って公演を見たが、特に、リンゴ・スターがドラムを叩く時に揺れる長髪に心を揺さぶられたのをよく覚えている。
 あれから40数年・・・。職業選択に後悔することはなかったが、紆余曲折しながらも「終身雇用」で終えた。確かに、あの時代は発展途上にあり、幸せの観念も揺れ動いていて、職業や結婚、考え方などにおける「選択」や「決断」は難しかった。茶川やロクちゃんのように親元を離れていた若者は自分で決断しなければならず皆悩んだ。
 さて、「三丁目」の茶川家はその後どうなったのだろうか。作家で生計を立てられるような時代にもなったことだし・・・。鈴木オートの社長は時代の流れについて行けたかな。一平は我が世を楽しんでいるだろうな。あの商店街は大型スーパーのあおりでシャッター街になっていないかな。自動販売機の普及で酒屋さんやたばこ屋さんはどうしている? そして、あの人情は残っているのだろうか。
 奇しくも、この映画は当時二十代前後の我々が社会人として巣立とうとしていた時代を描いており、懐かしい思いで鑑賞したが、実はあの頃の大事なものを忘れてきてはいないか、と問われているのだ。ものは豊かになったが心が伴っていない。だから人情も薄くなりかけている・・・と。大事なものとは心の豊かさなのかな。それでも、今も相変わらず美しい夕日に救われる思いをしている。