読書アラカルト(5)「紅梅」津村節子著

 著者の津村節子は作家・吉村昭の妻であり、芥川賞作家である。「紅梅」(文藝春秋刊)は一年半にわたる吉村昭の闘病と死を、妻と作家両方の目から見つめ、彼との最期の日々を全身全霊こめて純文学に昇華させた作品である。
 主な登場人物は、郁子とその夫。つまり、津村節子吉村昭である。ここでは実名に置き換えて紹介していく。

紅梅

紅梅

 吉村昭は死をテーマにした緻密な光景描写の短編小説をたくさん著している。また、「戦艦武蔵」により歴史作家としても名を馳せた。やはり、地道な資料整理や現地調査、関係者へのインタービューなどにより緻密なノンフィション小説を得意とした。
 吉村昭は、2005年元旦の日記に、小説を書く! と記している。ところが、新年早々、舌の調子が良くなく気にかけ始めた。「舌癌かも・・・」と。 2月、大学病院で検査を受けた結果、無情にも「舌癌」と診断された。この時から吉村昭の壮絶な闘病生活が始まるのである。それは妻にとっても看病と作家の二足のわらじを履かねばならない過酷な日々の始まりであった。
 吉村昭私小説「冷たい夏、熱い夏」(1990年6月刊)において、癌で亡くなった実弟の闘病記を書いた(毎日芸術賞)。これも医学的見地から病状を、また、肉親の立場から実弟への愛情を実に克明に記録したものである。あまりものリアリティに恐怖を感じつつも一気に読み終えたものだ。この中で、実弟の延命がどうすれば可能かを真剣に追究する一方、静かな死のあり方も求め、苦悩と葛藤に苛むのである。
 舌癌を抗癌剤の投与でしのいでいるところへ、今度は膵臓癌が発見され、これは有無を言わせず摘出することになった。膵臓がないとインシュリンにより血糖値を調整していかねばならず、毎日3回注入することになった。妻の援助が必要である。2006年5月、吉村は79歳の誕生日を迎えた。退院して自宅療養を望んだものの糖尿病の経過が良くなく、日に日に体力は衰えていった。患者も看病する方も行き詰まりを感じ始めていた。
 そんなある日、患者・吉村昭は点滴のつなぎ目をはずした。さらに、胸のカテーテルポートをもむしり取った。そして、あらゆる治療を頑固に拒否して「もう、死ぬ」と言った。妻の津村節子も医師たちに「もういいです」と延命を拒んだ。吉村昭は、2006年7月31日、妻と息子夫婦に看取られながら逝った。享年79歳。
 吉村昭津村節子も入院・手術、その看病中も小説を書き続けた。津村は、文学賞の選考委員の仕事や表彰式などで全国を駆け巡っていた。夫の代理もした。小説家はこんなにも過酷な人生を負わされているのだろうか。吉村昭の趣味は「小説を書くこと」だという。妻も、彼からそれを取ったら生きがいを失うと認めている。
 しかし、その度に調査旅行や資料整理があり、根を詰めての文筆がある。生命を削る作業の連続である。津村は「せめて私は妻だけであったら彼はもっと幸せだったのでは・・・」と述懐する。一方、吉村の晩年の日記には、「節子の心のこもった看護に感謝。」と記されていた。まさに、おしどり小説家夫婦なのであろうと思う。
 津村節子の主な著書は,「さい果て」「玩具」(芥川賞)「智恵子飛ぶ」(芸術選奨文部大臣賞)「異郷(川端康成文学賞)「海鳴」「重い歳月」など。