「たのしみは・・・時」

・たのしみは 紙をひろげて とる筆の 思いの外に 能くかけし時
・たのしみは 百日(ももか)ひねれど 成らぬ歌の ふとおもしろく 出できぬる時
・たのしみは 心にうかぶ はかなごと 思ひつづけて 煙艸(たばこ)すう時
 旧かなづかいや漢字、読み方も原文のままであるが、歌を口ずさむとす〜っと心の中に入ってくる。誰もが経験するようなことをそのまま詠んでいるからである。
 これらは、幕末福井の歌人であり国学者の橘 曙覧(たちばな あけみ・1812年5月生)の和歌である。今年は曙覧生誕200年にあたる。一昨年、福井市を旅した時、地元の友人に橘曙覧記念文学館を紹介され、歌人・曙覧を知った。そして、「たのしみは・・・・時」の52の和歌に出会ったのである。 


・たのしみは あき米櫃に 米いでき 今一月は よしといふ時
・たのしみは 妻子(めこ)むつまじく うちつどひ 頭(かしら)ならべて 物をくふ時
・たのしみは まれに魚烹(に)て 児等も皆が うましうましと いひて食ふ時
・たのしみは 三人(みたり)の児ども すくすくと 大きくなれる 姿みる時 
 やはり日常生活に題材をとり身近な言葉で詠んでいる。曙覧は21歳で結婚するが長女、次女、三女ともに早世し、その後に生まれた子どもたちの成長を願い、詠んだものである。


・たのしみは そぞろ読みゆく 書(ふみ)の中に 我とひとしき 人をみし時
・たのしみは 世に解きがたく する書の 心をひとり さとり得し時
・たのしみは 人も訪ひこず 事もなく 心をいれて 書を見る時
 曙覧は実家の跡取りを弟にゆずり歌と学問に打ち込んだ。隠棲生活で経済的には苦しかったが和歌や書に向かっている時は最も生き甲斐を感じていたようだ。


・たのしみは 常に見なれぬ 鳥の来て 軒遠からぬ 樹に鳴きし時
・たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時
・たのしみは 昼寝せしまに 庭ぬらし ふりたる雨を さめてしる時
 自然に対する感性も豊かで、見たものを実にそのままに詠む。だから人を感動させるのであろう。 

 これらの和歌は、「橘曙覧遺稿 志濃夫廼舎(しのぶのや)歌集」の独楽吟に収められている。「たのしみは・・・・・とき」 のような歌は当時の歌壇では珍しく異彩を放っていた。曙覧は1886年8月28日(慶応4年)57歳で亡くなったが、正岡子規を始めとする文学者に高く評価され、明治期の歌壇に大きな影響を与えた。
 記念文学館は福井市の中心部にあったが、あまり目立たないので予め調べておかないと見逃しがちである。橘曙覧自体地味な文学者なのでなおさらである。でも、「地元では知らない人はいないよ」と友人。今でも時折独楽吟の歌を口ずさむと、歌人・橘曙覧の生き方にある感慨を覚える。